【第43回】 この武将、誰?
はじめての歴史ブログ 第43回
ライター記者:ゆめか
みなさんこんにちは!
前回のブログでは、歴史ワードでよく見かける「当主」という言葉について、歴史初心者目線でみなさんと一緒にみていきました!
▼前回【第42回】当主ってなに?▼
では!今回のブログに参りましょう!
今回は、予定を変更し、つい先日【坂東武士図鑑】のgoogle検索ランキングを見ていて気になった武将「佐野宗綱」についてみていきたいと思います!まだまだ歴史初心者目線ですが、暖かい目で読んでください…!
■検索ワード急上昇!?
つい先日【坂東武士図鑑】のgoogle検索ランキングを見ていたら、発見!
Googleでの検索で坂東武士図鑑のページの中で
表示された回数が一番多かったページがなんと...
「佐野宗綱」が1位でした。(むむむ!)
でも、なぜ…。
謎は深まるばかりですが、、
【坂東武士図鑑】の中ではあまり目立っていなかった武将だったので、
私自身もあまり「佐野宗綱」について知らず…。
ということで、どんな人物なのか調べてみました!
■佐野宗綱とはどんな人?
ふむふむ…なるほど…!
【図鑑】をみてみると、
「戦国時代の武将、佐野氏16代当主で唐沢山城主」
と書いてありました!
現在は唐澤山神社がありますが、
昔はそこに唐沢山城というお城がありました。
「佐野宗綱」はその唐沢山城の当主だったのですね!
もちろん、栃木の武将で武士の始まり「藤原秀郷」の子孫でもあります!
歴史に詳しい岡ジィによると、
「佐野宗綱」は新しいもの好きらしく、
戦国時代、上杉軍と戦った際に、
当時は珍しいとされていた「鉄砲」を使って戦っていたとのこと!
でも!
最期は自ら力を入れていた鉄砲の普及にも関わらず、
「鉄砲」によって殺されてしまうという、、
なんとも悲しい最期を迎えた武将とのことです。。
ただ、その後鉄砲の普及が広がったことを考えると、
「佐野宗綱」は目がある武将だったのかなぁ...
と想像してしまいます。。(トホホ..)
▼▼坂東武士たちを図鑑でチェック▼▼
はい!ということで、今回のブログはここまでとします!
次回は、「藤原秀郷」の大百足退治伝説について、みなさんと一緒に見ていきたいと思います!ぜひお楽しみに!
いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!
では!次回のブログでお会いしましょう~♪
はい!ということで、今回のブログはここまでとします!
次回は、前々回もお伝えしていた通り「藤原秀郷」の大百足退治伝説について、みなさんと一緒に見ていきたいと思います!ぜひお楽しみに!
いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!
では!次回のブログでお会いしましょう~♪
今日の+α☆
「佐野宗綱」は鉄砲の普及に力を入れた武将!
▼▼坂東武士たちを図鑑でチェック▼▼
https://www.bando-bushi.com/character
*English summary*
Munetsuna Sano is known as the 16th Toshu of Karasawayama Castle in Sano city of Tochigi. He is not famous on our site but we noticed that many people searched about him on google recently. We thought it is a good time to share some information about him! Sano Munetsuna was a military commander during the Warring States period. He is the 16th owner of Mr. Sano. He is the son of Masatsuna Sano.In a battle against the Uesugi army, Munetsuna was one of the few people who tried to use guns in battle. He also tried to infiltrate a gun. However, it is unfortunate that he was killed by a gun at the end of his life.
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