top of page
検索

【第6話】2万騎の大軍よりも頼朝喜ばせた小山母子参陣 (2022年3月26日 投稿)



水野先生コラム:6回目

ライター:『小山殿の三兄弟』(ブイツーソリューション)、『藤原秀郷』(小学館スクウェア)著者・水野拓昌



小山政光の妻・寒河尼(さむかわに)は、挙兵直後の源頼朝のもとに末っ子・結城朝光(ゆうきともみつ)だけを連れて駆けつけました。去就に迷う武将を尻目に、不在の主人に代わって小山氏の態度を明確にした何とも格好良く、また、意外性のある場面。頼朝も大いに感謝、小山氏への信頼、厚遇にもつながっています。地元にも愛されていて、「政光くん」とともに「寒川尼ちゃん」は栃木県小山市のマスコットキャラクター。写真撮影の際、「さん、がわ、にぃ~」(「はい、チーズ」の代わり?)と掛け声があるほどです。




▼藤原氏の成り立ちが一目でわかる!藤原氏カンタン年表▼




■留守亭主に代わって駆け付けた寒河尼


1180年(治承4年)、源頼朝は挙兵したものの、石橋山の戦いで大庭景親の大軍に完敗し、命からがら海路、安房に逃れ、態勢の立て直しを図ります。合流した三浦一族、千葉一族を従え勢力を盛り返し、何とか味方を増やしつつある状況で、9月19日には上総広常が2万騎の大軍で合流しました。これで様子見の諸将も頼朝になびくかもしれないし、頼朝にとって大いにありがたい援軍です。ところが、頼朝は上総広常を叱責。安房上陸後から使者を送っており、その参陣を待ちきれず動き出したところで、その遅参を咎めたのです。


これには上総広常は驚きつつ、「人の上に立つにふさわしい大将の器」と頼朝を見直します。実は、頼朝が大した人物でなければ討ち取って平家に差し出してもいいとも思っていたのです。ですが、頼朝の威厳ある態度にたちまち心を改めました。


10月2日、寒河尼は14歳の末っ子、七郎一人を連れて、隅田宿(東京都墨田区)の頼朝の陣を訪ねました。寒河尼は頼朝の乳母(めのと、養育係)だったこともあり、頼朝は少年時代を懐かしんで喜び、そのころの話もして、七郎の烏帽子(えぼし)親になって元服させました。「宗朝」と名まで与えました。七郎はその後、「朝光」の名で登場するので、ここで与えられた名はどうなったのか分かりませんが、この日から頼朝に奉公します。小山3兄弟の末弟・結城朝光です。


頼朝は、2万騎の大軍を喜ばず、一方で母子だけの参陣を歓迎したのです。






■小山朝政の継母か実母か



隅田宿の参陣は大きな功績と認められ、1187年(文治3年)12月、寒河尼は下野国寒河郡、網戸郷(栃木県小山市)の地頭となりました。功績を認められて得た所領ですから、まさに「御恩と奉公」。御家人と同列です。


寒河尼は実名も当時の呼び名も不明です。「寒河尼」は晩年の呼称で、「寒河の地の尼さん」という一般名詞に近い呼び方。本来は「さむかわのあま」と読むべきですが、「さんがわに」、「さむかわに」と読んでもいいし、「寒川尼」と書いてもいいのです。


また、『吾妻鏡』の記載では、寒河尼は、八田宗綱(宇都宮氏2代目)の娘で小山政光の後妻、結城朝光の母となっています。すなわち、宇都宮朝綱(宇都宮氏3代目)の妹で、結城朝光の実母だが、小山朝政にとっては継母というのが通説です。ですが、一部の系図には「小山朝政の母は宇都宮朝綱の娘」と説明され、「宇都宮朝綱の妹ではなく娘、小山朝政ら3兄弟の実母」という新説が提起されています。


小山氏と宇都宮氏の関係や、寒河尼の重要性を考えれば、小山氏を継ぐことになる小山朝政の母は宇都宮氏出身の寒河尼と考えて違和感はない、むしろその方が至極当然とも思えますが、どうでしょうか。















■隅田宿参陣は寒河尼の独断か


寒河尼は91歳というたいへんな長寿で、『吾妻鏡』の死亡記事は1228年(安貞2年)2月4日。頼朝にも北条政子にも特に大事にされたことが書かれています。なお、この記事での呼称は「網戸尼」です。


さて、頼朝を喜ばせた隅田宿参陣。不在の夫・小山政光に代わって寒河尼が家臣の議論を主導し、頼朝に味方することを決めました。1ヵ月前の9月3日に頼朝が小山朝政に参陣を求める書状を送っています。届いたのが9月初旬か中頃でしょうか。武家の慣習として、妻も当主に次ぐ発言力があったとも考えられますが、当人の個性、寒河尼の背後の宇都宮氏の力も影響があるでしょう。


ただ、不在の小山政光もノープランだったのか、これも考えなければなりません。頼朝挙兵を事前に想定していないにしても、頼朝が何を思って伊豆での流人生活を送っているかは想像できたはずです。ましてや、寒河尼は頼朝の元乳母。源氏との関係を断ち切っていなければ、いざというときはどうするか、小山政光と妻・寒河尼、あるいは一部の重臣とも基本的な姿勢について固めてあった可能性はあると思います。


源氏か平家か、どちらに味方するか、家の存亡に関わる重大事です。寒河尼の大胆な決断にも、しっかりとした準備があったと考えるのが自然ではないでしょうか。





▼前回【第5話】のコラムを見る▼

















▼水野氏の最新刊「小山殿の3兄弟 源平合戦、鎌倉政争を生き抜いた坂東武士」はAmazonにてご購入いただけます♪(詳しくは下の画像をクリック)



SNSでお友達やご家族にシェアをお願いします♪

■ カテゴリー別

おすすめページ

bottom of page