由良成繁 ゆらなりしげ
最終更新: 1月15日

File No. 42
【由良成繁】
ゆらなりしげ
narishige-yura
下克上により金山城を奪い、城主として独立した。
【生年】永正3年1506年
【没年】天正6年1578年
【氏族・血族】横瀬氏〜由良氏
【所領】上野国太田
【主君】岩松氏純〜守純〜(独立)
■上野横瀬氏(後の由良氏)八代当主
新田義貞の子孫という説もある。
由良成繁は、上野国の戦国大名・横瀬泰繁の長男で、後に新田氏宗家が代々相伝していた新田郡由良郷を治め、その地名により姓を由良に改めた。この改名は、由良成繁が下克上を起こして戦国大名として独立したことを天下に知らしめるためといわれる。
由良氏は元々小野氏の流れをくむ一族で、成繁は新田四天王の一人由良具滋の末裔にあたる。はじめ岩松氏に家老として仕えていたが、下克上を起こして主君の岩松守純から新田金山城を奪い独立した。
由良氏の領国である上野国は、甲斐武田氏、上杉氏、古河公方足利氏、後北条氏と周囲を強大な勢力に囲まれていた。そのため由良氏は、関東管領上杉氏〜後北条氏〜上杉謙信〜再び後北条氏と次々と主君を変え生き残りを図った。
成繁は、天正元年(1573年)に館林城を陥落、後桐生氏の居城である柄杓山城を落として同氏を滅ぼすと、居城であった金山城を嫡男の国繁に譲り、天正2年(1574年)に柄杓山城に隠居した。
晩年は鳳仙寺を建立し城下町を整備するなど、善政を敷いたといわれている。
妻の妙印尼は館林城主・赤井重秀の娘で、成繁の没後天正12年(1584年)に居城である金山城が北条氏に攻撃されると、71歳で篭城戦を指揮した女傑として有名である。(次回を参照)
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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