露垂根神社について
佐野市富士町1007
主祭神:市杵島姫命
配神:天照大神 素戔嗚尊
天慶5年942年藤原秀郷が唐沢山城築城に際し、唐沢山山頂に「大炊の井※1」の守り神として安芸国厳島大明神を勧請したのが始まりと伝わる。
大永年間に笠松山中腹に奉移、慶長元年1596年現在地に遷座した。
寛保三年1743年、氏子一同が拝殿を建立し、露垂根大明神として崇拝した。
本殿3面の壁には、7人の隠者※2「竹林の七賢※3」の色鮮やかな彫刻がある。
現在は唐沢山神社が管理している。
※1「大炊の井」
唐沢山城にある大きな井戸。くい違い虎口から少し進んだ左手にあり、大きさは口径9メートル、深さ8メートル以上にもなる大規模なもの。
史料『校正続撰佐野記』によると「手を以て土中を探りければ、たちまち清水湧出て一つの大井出現せり。(略)大井之水かるるいう事なし。」とあり、現在も豊かな水を蓄えている。
築城に際して、大切な水を得る井戸の守り神として、厳島大明神に祈請し露垂根神社として祀ったという。
※2「隠者」
一般社会との関係を断ち(隠遁)生活する人のこと。仏教など多くの宗教者や宗教的背景を持つ隠者が多い。
※3「竹林の七賢人」
中国の晋の時代に、洛陽の竹林に集まった七人の隠者。
阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)、山濤(さんとう)、向秀(こうしゅう)、劉伶(りゅうれい)、阮咸(げんかん)、王戎(おおじゅう)の七賢人で、彼らは俗世間を離れ、心の赴くままに酒を飲み、詩を作り、老子、荘子の思想に浸って清談するという日々を送ったといわれる。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(人々の目をくらます事)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。(露垂根神社由緒より)
アクセス
露垂根神社
住所/栃木県佐野市富士町1007
受付時間/年中無休
注意事項/社務所はございません
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