「坂東武士図鑑」とは?

「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」

株式会社みやもと 代表取締役社長 宮本 誠

貴族の時代である平安より「坂東=現在の関東」に領地を構え、武士の始まりとされる『坂東武士』。 京の煌びやかな都から遠く離れた荒野坂東で、最強の武士団を形成し坂東の独立を夢見た平将門は教科書でも出てくる誰でも知る存在ですが、後の鎌倉幕府成立に至るまでの強者達の武勇伝説は、 歴史ファン以外にはほとんど知られていないのが実状です。

当サイトを運営する「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」では、栃木を始め都道府県ブランドランキング下位をしめる茨城県・群馬県も含めた北関東の坂東武士を中心に、その歴史学的な史実だけにとらわれず、民話や伝説などの言い伝えも紹介し、それぞれの地域に根付いた存在価値を再認識することで『地域愛=シビックプライド』の 醸成へと向かう事を目指し、私達と一緒に活動して頂ける皆さまの想いが、北関東の地域創生、そして日本のブランドアップへと繋がる事を夢見ています。

 

当サイトの第一章として、まずは私達の住む栃木県の忘れられたヒーロー『藤原秀郷』と その氏族を中心にご紹介していきたいと思います。

当会 名誉会長 上野通子先生のごあいさつ

そもそも坂東武士って?

坂東武士とは

「坂東」現在の関東に領地を構えた武士。

坂東とは、古代から中世・近世にかけて、現在の関東1都6県とほぼ同じ地域を指す地域の名称。

平安時代、国力が安定し平和な時代になると、朝廷による徴兵が廃止され、地方の治安を守るのは領主たちが編成した軍隊=健児(こんでい)だけとなります。しかし地方では、かえって争いや小さな衝突が多発し、治安が悪化してしまいます。再び朝廷は軍を編成しますが、その規模は小さく統治する事は出来なかった為に、地方の領主たちは治安を安定させるため一族や領民を組織して新たな武力を持ったのが武士の始まりとなっています。その後武士たちは勢力を強め、社会の中心に位置するようになってきます。

 

中でも、「坂東」は、大和朝廷による支配の東の端であり、特に現在の北関東は蝦夷(東北)とその境をはさんで対峙する重要な地域でもあり、物資の豊富な蝦夷との貿易交渉に争いも多く、特に勇猛な武士が数多く生まれたのが『坂東武士』なのです。

 

※分かりやすく「関東武士」ともいわれます。

 

坂東の語源

「坂」は山の峠から下る坂道を意味し、西国から関東平野に入る際の峠から下る坂道のこと。

西側を山に囲まれた関東平野への西国からの出入りは、足柄の峠、小仏の峠、碓氷の峠の三ヶ所からで、峠から坂を下って東に入るということから、下る「坂」の東という意味で「坂東」と呼ばれました。

【坂東八国地図】

① 相模国(さがみ)現.神奈川県

② 武蔵国(むさし)現.東京都・埼玉県・神奈川県

③ 安房国(あわ)現.千葉県南部

④ 上総国(かずさ、かづさ)現.千葉県中部

⑤ 下総国(しもうさ)現.千葉県北部・茨城県南部

⑥ 常陸国(ひたち)現.茨城県

⑦ 上野国(こうずけ)現.群馬県

⑧ 下野国(しもつけ)現.栃木県

後に「関八州」「関東八州」「八州」などとも表します。

 

いっしょに・・・・関東の語源

本来「関東」というのは、畿内を中心とする古代の日本において、東山道の不破関、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発(あらち)関という大きな三つの関の東を「関東」と読んだのが始まりと言われ、「東国」と同様の意味を持っていた。しかし、西国の中心国の範囲が東に広がるにつれ、今の中部地方をはさみその東の地域を「関東」と表されるようになりました。この際の「関東」は、足柄の関、小仏の関、碓氷の関よりも東という意味で、峠の関から下る坂という意味で「坂東」と同意です。

ちょっとまだよくわからない~!

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栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会

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