藤原秀郷とは?

​ふじわら ひでさと

平安時代中期(930年頃)の貴族で武将である藤原家直系の子孫。

【別称】俵藤太(たわらのとうた)意味は藤原氏の長「太郎」から。

【生年没年】不明(800年代末ごろ誕生・958年ごろ死去?)

藤原秀郷(ふじわらのひでさと)は、貴族が中心であった平安時代に武士団を形成し平将門の乱を平定します。下野(現在の栃木)・武蔵(現在の東京・埼玉・神奈川)の両国司に武門の最高名誉職とされる鎮守府将軍まで登り詰め、武士の始まりとあがめられた武将です。またその強さは、「近江の大百足退治」に「宇都宮の百目鬼(どうめき)退治」などの英雄伝説も語られる、希代のヒーローでもありました。しかし現代では、全国はおろか地元栃木県においてもその存在を伝える人も少なくなっています。

 

栃木県の皆さまに藤原秀郷と、県内各市の礎を形成した秀郷流氏族を認識することで、シビックプライドを醸成し、栃木の誇りとして全国に発信し、栃木のブランドアップや観光促進の一翼を担う地域創生活動を行ってまいります!

本活動は、公益社団法人企業メセナ協議会 より芸術・文化支援による豊かな社会づく りの取り組みとして認定されました。

あの有名な伝説も秀郷が主役!

藤原秀郷のその強さは近江の大ムカデ退治など妖怪退治のヒーローとしても全国的に有名でした。宇都宮での秀郷伝説には、二荒山神社北側の塙田に出没する鬼百目鬼(どうめき)

退治の話しがあります・・・。

 

ある日、秀郷が狩の帰り道に田原街道の大曽の里を通りかかると、1人の老人が現れ

「この北西の兎田という馬捨場に百の目を持つ鬼が現れ困っている...」

という話を聞きました。鬼退治を依頼された秀郷が兎田で待ち伏せていると、

両手に百もの目を光らせ、全身に刃のような毛を持つ十尺ほどの大きな鬼が現れました。

秀郷は、得意の弓を引き、最も光る目を狙って矢を放ち射抜くと、

体からは火炎を、裂けた口からは黒い毒気を吐き出し、

現在の塙田百目鬼通り付近で、黒こげた跡を地面に残して姿を消したとのことです。

それから約400年の時が経ち、時は室町時代。

塙田村の本願寺で、住職が怪我をするとか寺が燃えるといった事件が続いていました。

そんな中で、本願寺で智徳上人というとくの高いとうが住職となり、

日々説教をするとその説教に必ず姿を見せる歳若い娘がいました。

実はこの娘こそ400年前にこの辺りで瀕死の重傷を負った鬼の仮の姿だったのです!

長岡の百穴に身を潜め傷付いた体が癒えるのを待ち、

娘の姿に身を変えてはこの付近を訪れて、昔の邪気を取り戻すため、

かつて自分が流した大量の血を吸いに来ていて、

本願寺の住職は邪魔であったため怪我を負わせたり、寺に火をつけたりしていたのです。

智徳上人はその鬼の正体を見破り、鬼は智徳上人の度重なる説教に心を改め

二度と悪いことをしないと誓い成仏しました。

この鬼は、100匹の鬼の頭目であったことから「百目鬼」と呼ばれ、

これ以降、この舞台の本願寺のあたりを「百目鬼」と呼ぶようになったといいます。

図鑑(百目鬼)_バナー_アートボード 1.png
​↓↓秀郷と百目鬼物語を歌ってみたら...↓↓

秀郷に討たれた百目鬼が動かなくなったとされる場所は、今でも『百目鬼通り』と、その名 を残しています。(二荒山神社 北、八幡山通りから赤門通りに抜ける道)

​↓↓二荒山神社へ行った帰りに探してみよう↓↓
秀郷は武士の始まりの一人

藤原秀郷は宇都宮二荒山神社で授かった霊剣にて将門の乱を平定した功績を朝廷より讃えられ、下野国司(現在の栃木県知事)その後は武士の最高名誉職である、鎮守府将軍を任された武士の始まりとされています。

 

藤原秀郷の名前は二荒山神社の入り口『宇都宮二荒山神社後由緒』に記されています。↓↓↓

実は栃木は秀郷親族だらけ!?

小山氏、佐野氏、那須氏、長沼氏、波多野氏、蒲生氏、奥州藤原氏・・・
傍系は数知れず、宇都宮氏も氏族。

そんな栃木の地名の由来でもある秀郷の親族たちをもっと詳しくみてみよう!

秀郷くん

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