ふじわらのひでさと
藤原秀郷とは?
武士の始まり 武芸の開祖!
栃木の武将であり、武士の始まりとも言われる藤原秀郷。
【別称】
俵(田原)藤太(たわらのとうた)意味は藤原氏の長「太郎」から。 藤原秀郷 藤原氏始祖、藤原鎌足の七世。
【生年没年】
890年ごろに誕生・958年ごろ逝去
940年、坂東を制圧し自らを新皇と称して朝敵となった平将門を朝廷の命により倒し、乱を平定します〈平将門の乱・承平天慶の乱〉。その功績から下野・武蔵の両国司、従四位下の階位に昇り、武門の頂点である鎮守府将軍となりました。その強さは伝説となり『宇都宮の百目鬼退治』に『近江の大百足退治』など、お伽噺として語り継がれています。当時は『秀郷流』を名乗る事は武士の誉れで有り、武門の氏族も全国に拡がります。栃木県内の氏族には、藤姓足利氏、佐野氏、小山氏、長沼氏、皆川氏、那須氏・・・ それぞれが所領地名で名乗っていますが、本姓は秀郷流『藤原』になり、栃木県内各地の礎を秀郷流藤原氏が作り秀郷や氏族が創建したとされる神社仏閣に多くの伝説も残ります。しかし現代では、地元栃木県においても、その存在を伝える人も少なくなっています。
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 公式キャラクター:藤原秀郷
秀郷は「武士の始まり」の一人。宇都宮二荒山神社との関係性
藤原秀郷は宇都宮二荒山神社で授かった霊剣にて将門の乱を平定した功績を朝廷より讃えられ、下野国司(現在の栃木県知事)その後は武士の最高名誉職である、鎮守府将軍を任された武士の始まりとされています。また、二荒山神社の例祭「菊水祭」は、秀郷公が平将門の乱を平定し祈願成就し、そのお礼参りの記念の例祭とされています。
▼藤原秀郷の名前は二荒山神社の入り口『宇都宮二荒山神社後由緒』に記されています。
宇都宮二荒山神社祭礼図絵
▲宇都宮二荒山神社にて展示されている「宇都宮二荒山神社祭礼絵図」
右ページ:藤原秀郷が 宇都宮二荒山神社にて霊剣を授かっている姿。
左ページ:鎌倉殿の源頼朝が奥州藤原氏を討つために北上する途中、二荒山神社にて戦勝を祈願。
その後、奥州平定をし二荒山神社にて捕虜の一族を職掌としている姿。
▲藤原秀郷が宇都宮二荒山神社にて授かった霊剣で平将門を討つことを
想像している絵。