

【会員寄稿コラム】藤原秀郷流を訪ねて《10》「古河城のその昔~下河辺行平と頼政神社」
2026年1月12日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 古河市渡良瀬川にかかる三国橋、南東の土手のにある「古河城跡」の石碑。行ってみると見渡す限りの土手と広い河川敷、遺構なんて見当たらない。 江戸時代の縄張り図を見ると、渡良瀬川東の沼地に突き出した舌状大地を利用した縦長の平城です。本丸には天守閣代わりの三重櫓もありましたが、明治時代に渡良瀬川河川工事でほぼ壊滅、後付けの石碑だけが……ところで中世以前の古河城の創健者は?下河辺行平とありました。 それと気になったのは、縄張り図にある頼政曲輪と頼政神社、そして左上の神社の現在地。頼政ってあの源頼政(源三位)、平安末期1180年(治承4)平家打倒の挙兵に以仁王と共に先陣をきり宇治川で平家軍と激突しましたが大軍の前に無念の敗戦、平等院で自刃してしまった摂津源氏の棟梁です。 下河辺行平と源頼政の関係は……。 下河辺氏は藤原秀郷流小山氏族、平安末期下河辺地区(下総領内、現在の茨城県古河市、五霞町、埼玉県加須市あたり)に土着した一族。行平の父行義は、当時下総国守をしていた源仲政


【会員寄稿コラム】藤原秀郷の系譜をたどって―― 初夏の近江・日野町を歩く
2026年1月30日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 寺内 明子 6月、藤原秀郷をヒーローにする会の活動も兼ねて、滋賀県蒲生郡日野町を訪れてきました。日野町は、藤原秀郷公の子孫である、のちの会津藩92万石の領主、蒲生氏郷公の生誕地であり、宇都宮とも縁の深い「近江日野商人」の町です。 これまで資料や系譜として知ってきた場所を、今回は実際に歩き空気を感じながら巡ることができました。 凛とした姿の中に、どこか落ち着きと品を感じる街 街に入ってまず目に入った蒲生氏郷公の銅像。藤原秀郷の系譜に連なる人物として、これまで何度も名前を目にしてきましたが、実際にその地に立ち像を前にすると、歴史が一気に身近に感じられました。 この街で育まれた時間を、静かに見守っているような氏郷像 日野という土地そのものが、氏郷公の人柄や価値観を形づくってきたのだと、町の空気から自然と伝わってきます。 かつての歴史を感じながら、ゆっくり深呼吸したくなる場所です 日野城跡は、緑に包まれたとても静かな場所でした。 ここが政と武の拠点であったとは思えないほど、今は穏やか


『宇都宮二荒山神社ご祈祷と岡田講師ご自慢のお宝を解説!』2026年1月24日開催
昨日は、栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会の毎年恒例となっている宇都宮二荒山神社の新年御祈祷会でした。 同社は、帝の命による平将門討伐の際に戦勝祈願が行われ、霊剣を授かったと伝えられる下野一の宮。 戦いの神「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」が祀られています。 社務所には、藤原秀郷ゆかりの兜のほか、神社の例大祭の起源となった将門討伐祈願を描いた「祭礼絵図」も展示されています。 その後は、「スイーツ&カフェ フラッグス」にて座談会を開催。 岡田講師が年明けの古本市で見つけた、明治時代の秀郷系図『田原族譜』を中心に、そこに記されている秀郷子孫のさまざまな系譜について解説していただきました。 また、事前に会員の皆さんへ「自慢のお宝を持ってきてください!」とお願いしていたところ、秀郷氏族・皆川氏の菩提寺である金剛寺の柿上住職が、まさに“本物”と呼ぶにふさわしい貴重な品をお持ちくださいました。 そこには「芭蕉○真筆」と記されており……松尾芭蕉の自筆!?と、一同騒然。 さらに今回、ご自宅のお宝について親御さんなどに尋ねたことをきっかけに、「実は秀郷





























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