

栃木の武将 藤原秀郷をヒーローにする会 皆川城跡・金剛寺 歴史探訪レポート 2026年3月28日開催
『法螺貝城。地形が、そのまま戦略だった!』 絶好の行楽日和。やわらかな陽気に誘われ、「栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会」では、栃木市の皆川城跡と金剛寺を訪れ、皆川氏の歴史を学びました。 実際に山へ足を踏み入れると、そこはまさに“体感する歴史”。「ここが曲輪か?」「この堀切は深すぎて攻められない」といった声が自然と上がり、進むほどに山城の構造が立体的に見えてきます。皆川歴史研究会代表・大橋氏による解説のもと、地形そのものが“歴史の教科書”であることを実感しました。急な斜面を登った頂上からの眺望も素晴らしく、桜や菜の花に彩られた里山の風景が広がります。参加者の皆さんとお弁当を広げ、春の訪れを味わうひとときとなりました。 金剛寺から望む皆川城址 柿上住職の操縦にてドローン空撮 皆川城址 皆川氏は、藤原秀郷の流れをくみ、小山氏、長沼氏を経て続く武家の系譜に連なる一族です。その居城である皆川城は、山全体を利用した典型的な山城で、尾根に沿って曲輪や土塁を幾重にも配置し、堀切によって敵の侵入を遮断するなど、戦国期の高度な防御構造を今に伝えています。こうした


【佐野支部】春の藤原秀郷祭り「和楽器と日本舞踊で秀郷を想う」
2026年3月29日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会・佐野支部主催のイベントが開催されました。 永島正光さんより開催レポートを寄稿いただきました。 イベント概要 「春の藤原秀郷祭り」 開催日:2026年3月29日(日)13時30分~15時 会場:佐野市中央公民館3階ホール(佐野市金井上町2519) 主催:栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会・佐野支部 協力:一般社団法人あそのま麻むら保存会 後援:公益財団法人佐野市民文化振興事業団 内容 第1部 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会の1年間の活動報告など 第2部 和楽器と日本舞踊で秀郷を想う「扇の的」、「秀郷絵巻」 【出演者】 (日本舞踊)若柳 緑さん (和楽器奏者)たきがわ よしひろさん 打ち合わせ、リハーサル、半年の準備期間を経ての発表となりました。 会議室ではありません、3F大ホール?です。約100名のお客様にご来場いただきました。 佐野支部本郷さんの挨拶からスタート、前半のメインテーマ


『宇都宮市大谷町探訪』2026年2月21日開催
今回の行程は、 多氣不動尊→ 大谷寺 →大谷グランド・センター 平安から続く信仰と産業の地『大谷』 岩に刻まれた祈り、そして現代の感性によって再生した文化拠点を巡る一日です。 【多氣不動尊 】山に息づく信仰と伝承 朝10時、春を感じる温かさの多氣不動尊に集合。 多氣山の静かな空気の中、当会会員の”宮の語りべ”有岡光枝さんより、この地に伝わる伝説や多氣山の歴史について丁寧にお話を伺いました。 修験の山としての信仰、宇都宮氏ゆかりの山城跡としての側面、 そして今もなお人々を惹きつける不思議な力。 先日、当会会員の長島さんも多氣山の投稿を頂いたので、気になった方は、こちらもどうぞ。 ↓ https://www.bando-bushi.com/post/260213 長く一直線の石段を一段一段進みながら、 歴史を「感じ」整備された境内に春を感じる時間となりました。 【大谷寺】岩に刻まれた千年の祈り 続いて訪れたのは大谷寺。 平安時代に彫られた磨崖仏「大谷観音」と、高さ27メートルの「平和観音」を拝観します。 岩肌に直接刻まれた仏の表情は、華やかさはなくと


【会員寄稿コラム】ここから古への想い《1》
2026年1月25日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 多気城碑 「多気山城から見る名門宇都宮氏の終焉」 「これで北条が進軍して来ても、いち早く備えができよう」 1585年(天正13)小山秀綱を蹴散らし、怒涛の北征を続ける小田原北条氏。ビビる宇都宮国綱は本城を宇都宮からここ多気山に移します。確か前方は見通しはきくが……西の鹿沼方面はみえない? 鳥瞰図(余呉さんのHPより) 道しるべ(多気山頂) 1588年(天正16)北条氏に降った皆川氏に西方城を、奪われた国綱、佐竹の援軍を得て皆川氏の出城諏訪山城に襲いかかる。 圧倒的な兵力で皆川勢を攻め続け諏訪山城、真名子城、富張城(神楽岡)、深沢城(布袋が丘)へと押しまくる。吹上城を落とし残るは皆川本城、しかし、皆川軍の後詰め壬生義雄に手薄の多気山城を狙われ、急遽無念の退却… 鹿沼の城郭 1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐で宇都宮18万石を安堵された国綱だったが、跡継ぎ(男子)がいない…、秀吉から子飼い重臣、浅野長政(秀吉の正妻、ねねの親族)の二男長重を養子にと勧められる。国綱


『おじ散歩』レポート
2026年2月7日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 専務理事 岡田康男 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会の宮本代表、水野顧問と一緒に、おじさん3人で『おじ散歩』と洒落てきました。 3月28日に開催予定の秀郷ベント「皆川氏巡り(仮)」の下見を兼ねて、栃木・皆川城内地区へ。皆川城址と皆川の菩提寺金剛寺へ。天候がイマイチでしたが、まずは久しぶりの皆川城址。 以前よりもキレイに整備され、全容もはっきり見え、なかなかかっこいいですね。そうです!カッコいい山城なんです! 今も皆川地区を見下ろす皆川城全景 金剛寺前から 皆川城址公園案内図 往時の城の面影を感じさせてくれる形状が、しっかり残っています。 城址全体に桜の木が揃っているので、イベント開催の3月末頃は桜が見頃になるようです。楽しみ!! 桜が楽しみな桜平 2月の今は、蝋梅と紅梅が見頃。 蝋梅が見頃でした 蝋梅と紅梅の共演 全体のよく整備され歩きやすくなっていますが、さすがに本丸(頂上)近くは急坂です。 本丸へもう一息、登りやすく整備されているのでありがたい 本丸(頂上)には見晴し台が整備され、


【水野先生コラム】『おじ散歩』レポート
2026年2月7日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 顧問 水野拓昌 2月7日の土曜日、栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会の宮本さん、岡田さんとともに栃木市の皆川城跡、金剛寺に行ってきましたよ。3月28日予定の交流会の下見です。 栃木市中心部の少し西側にある皆川城跡は、藤原秀郷の子孫・皆川氏の居城です。戦国時代の山城の跡で、標高147メートルで、それほど高くなくて、下から山頂の展望台が見えるので、すぐ登れそうな感じもします。法螺貝城とも呼ばれたように、螺旋状でくるくると登っていくので、急斜面はあまりありません。その分、距離はあって、かなり登ってきたはずなのに、まだ着かないのかなぁ、と思いもします。 実は過去にも数回登ったことがありますが、年齢を重ね、勾配が急だと思う箇所がありますね。今は梅や蠟梅が少し咲いている程度ですが、3月末だと、桜がかなり咲いているはずです。ふもとは公民館があり、駐車場があり、広場があります。山頂までだいたい20分。途中休憩を取りながらゆっくり登って30~40分程度だと思いますよ。山頂からの見晴らしは素晴らしいですよ。


【会員寄稿コラム】藤原秀郷流を訪ねて《10》「古河城のその昔~下河辺行平と頼政神社」
2026年1月12日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 古河市渡良瀬川にかかる三国橋、南東の土手のにある「古河城跡」の石碑。行ってみると見渡す限りの土手と広い河川敷、遺構なんて見当たらない。 江戸時代の縄張り図を見ると、渡良瀬川東の沼地に突き出した舌状大地を利用した縦長の平城です。本丸には天守閣代わりの三重櫓もありましたが、明治時代に渡良瀬川河川工事でほぼ壊滅、後付けの石碑だけが……ところで中世以前の古河城の創健者は?下河辺行平とありました。 それと気になったのは、縄張り図にある頼政曲輪と頼政神社、そして左上の神社の現在地。頼政ってあの源頼政(源三位)、平安末期1180年(治承4)平家打倒の挙兵に以仁王と共に先陣をきり宇治川で平家軍と激突しましたが大軍の前に無念の敗戦、平等院で自刃してしまった摂津源氏の棟梁です。 下河辺行平と源頼政の関係は……。 下河辺氏は藤原秀郷流小山氏族、平安末期下河辺地区(下総領内、現在の茨城県古河市、五霞町、埼玉県加須市あたり)に土着した一族。行平の父行義は、当時下総国守をしていた源仲政


【会員寄稿コラム】藤原秀郷の系譜をたどって―― 初夏の近江・日野町を歩く
2026年1月30日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 寺内 明子 6月、藤原秀郷をヒーローにする会の活動も兼ねて、滋賀県蒲生郡日野町を訪れてきました。日野町は、藤原秀郷公の子孫である、のちの会津藩92万石の領主、蒲生氏郷公の生誕地であり、宇都宮とも縁の深い「近江日野商人」の町です。 これまで資料や系譜として知ってきた場所を、今回は実際に歩き空気を感じながら巡ることができました。 凛とした姿の中に、どこか落ち着きと品を感じる街 街に入ってまず目に入った蒲生氏郷公の銅像。藤原秀郷の系譜に連なる人物として、これまで何度も名前を目にしてきましたが、実際にその地に立ち像を前にすると、歴史が一気に身近に感じられました。 この街で育まれた時間を、静かに見守っているような氏郷像 日野という土地そのものが、氏郷公の人柄や価値観を形づくってきたのだと、町の空気から自然と伝わってきます。 かつての歴史を感じながら、ゆっくり深呼吸したくなる場所です 日野城跡は、緑に包まれたとても静かな場所でした。 ここが政と武の拠点であったとは思えないほど、今は穏やか


『宇都宮二荒山神社ご祈祷と岡田講師ご自慢のお宝を解説!』2026年1月24日開催
昨日は、栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会の毎年恒例となっている宇都宮二荒山神社の新年御祈祷会でした。 同社は、帝の命による平将門討伐の際に戦勝祈願が行われ、霊剣を授かったと伝えられる下野一の宮。 戦いの神「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」が祀られています。 社務所には、藤原秀郷ゆかりの兜のほか、神社の例大祭の起源となった将門討伐祈願を描いた「祭礼絵図」も展示されています。 その後は、「スイーツ&カフェ フラッグス」にて座談会を開催。 岡田講師が年明けの古本市で見つけた、明治時代の秀郷系図『田原族譜』を中心に、そこに記されている秀郷子孫のさまざまな系譜について解説していただきました。 また、事前に会員の皆さんへ「自慢のお宝を持ってきてください!」とお願いしていたところ、秀郷氏族・皆川氏の菩提寺である金剛寺の柿上住職が、まさに“本物”と呼ぶにふさわしい貴重な品をお持ちくださいました。 そこには「芭蕉○真筆」と記されており……松尾芭蕉の自筆!?と、一同騒然。 さらに今回、ご自宅のお宝について親御さんなどに尋ねたことをきっかけに、「実は秀郷


【会員寄稿コラム】東京・多摩に残る秀郷の痕跡③
2025年12月27日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 戸室 直隆 藤原秀郷をヒーローにする会の戸室と申します。 戸室は下野佐野氏の庶流、藤原秀郷公の末裔の一人となります 。今回は前回まで紹介した秀郷の痕跡が残る場所を分析し、藤原秀郷や平将門が多摩郡でどのような動きをしていたのかを振り返りたいと思います。 伝承から浮かび上がる秀郷の動き 前回まで色々な伝承を見てきましたが、多摩各地の伝承で藤原秀郷と平将門の登場をまとめると、次のようになります。 藤原秀郷と平将門の多摩各地の伝承の登場比較 ※表示内の①は平将門討伐前、②は討伐後と推測される伝承 こうしてみると、藤原秀郷、平将門の両方登場する場合と、どちらか一方のみ登場する場合に分けられます。秀郷のみ登場するのは府中市とあきる野市、将門のみ登場するのは八王子市、青梅市、奥多摩町、両方登場するのは多摩市、羽村市、日の出町です。また、①は将門が存命中、②は将門の敗死後と推測される伝承に分けていますが、将門の存命中のだけでなく、将門が破れた後の伝承もあることが分かります。もしこれらの伝承

