

10月の宇都宮は特別な月
菊水祭の月 2026年10月1日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 専務理事 岡田康男 「10月の宇都宮は特別な月/菊水祭の月」 10月になりました。 私たち宇都宮の市民にとって、10月は特別な月です。 ・10月はどんな月 10月は、古名「神無月(かんなずき)」と呼ばれています。 日本の諸国の八百万(やおよろず)の神々が出雲大社(島根県出雲市)に集まり、人々の様々な「神事」や人々の縁(男女の縁結び・人間関係)や来年の収穫について話し合います。そのため、日本各地の国元を留守にすることから、神のいない月「神無月」と呼ばれます。ですから、逆に出雲だけは「神在月(かみありづき)」といいます。 そんな神様の一大イベントは、神様のお祭り=お祀りともいえますね。 ならば、全国の国々の神様が留守の間、庶民たちにとっても気楽に楽しめるお祭りを・・・というわけではないのでしょうが、10月は全国的に秋祭りの季節です。 ・10月の宇都宮といえば最大最重要な祭り「菊水祭」の月 「菊水祭」は、宇都宮二荒山神社の例祭(本祭)である秋の神事で、令和8年(2026年)は10月


「第34回佐野秀郷まつり」にのせて
平将門を知らずして藤原秀郷は語れない 2026.10.1 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 1.『平将門が目指したもの』 ―「調停者」から「新皇」へ― ① 東国で何が起きていたのか、律令国家の地方支配が揺らぐ 9~10世紀の東国では、国司・郡司・在地豪族などが複雑に絡み合い、土地・租税・利権をめぐる争いが起きていました。将門もまた、こうした東国社会の中に生きた在地豪族でした。 ② 将門は「争いを収める者」になった 一族間の争いを経て勢力を拡大した将門は、やがて東国の紛争に介入するようになります。武蔵国では、興世王・源経基と武蔵武芝の対立に調停者として介入しました。ここで将門は、「戦う武士」から「東国の争いを裁定する武士」へと変化していきます。 ③ しかし、調停では解決できない壁があった 常陸国の藤原玄明をめぐって、将門と常陸国府の対立が決定的になります。 そして939年、将門は常陸国府を攻撃。ここが大きな転換点です。「一地方の紛争」から「国家との対決」へ。その後、下野・上野などの国府を制圧し、坂東諸国の支配へと


『第34回佐野秀郷まつり』に今年も参加!2026年9月12・13日開催
栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 第34回佐野秀郷まつり 2026年9月12、13日に開催された、『34回佐野秀郷まつり』に今年も参加しました! 昨年に続き佐野市役所1Fに大きなスペースをいただき準備万全、「さのまる」の控え室もあり相乗効果も絶大。 その上、下野新聞様には事前告知を掲載していただいたこともあり、たくさんの方にご来場いただきました。 「藤原秀郷をもっと知って」と平将門や大河ドラマ「豊臣兄弟」との関連も含めて、パネル50枚、そして好評の「貴方も藤原秀郷の子孫かも知れません」の大系図、さらには関連歴史クイズなど盛りだくさんの内容でした。 恒例のワークショップでは昭和レトロな新聞紙のカブトと紙鉄砲など、子供から大人まで楽しんでいただきました。 もちろんフォトスポットも用意、カブトをかぶってハイ、パチリ 今年は地元佐野高校のS.Gクラブも加わり、唐沢山城オリジナルパンフレットの配布や、力作小冊子「私たちの佐野史」を紹介していただきました。 もちろん「ヒーローにする会」宇都宮本会のメンバ


茶の道の伝承と下野の武将「皆川廣照」
2026年9月28日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 専務理事 岡田康男 『豊臣兄弟』裏話・・・ 茶の道の伝承と下野の武将「皆川廣照」 いよいよ佳境に入ってきたNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」 豊臣秀吉は、弟秀長のサポートもあってか、武士の頂上に駆け上がり、関白の地位も手に入れ、いよいよ天下をうごかし始めました。(放送9月27日現在) そんなドラマの中に、不思議な存在として「千利休」が登場しているのに気がついた方も多いのではないですか?俳優・吉岡秀隆さんが演じていますね。今後の展開の中で、どのような役割になっていくのでしょうか? 「千利休」は、皆さんご存知のように茶道の創始者として有名です。 現代においても利休の流れを継承する流派として、茶道の三千家として「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の三家が、その教えを綿々と受け継いでいます。 ただそんな千利休ですが、あまり知られていませんがいわゆる指南書や語録などの記録はほとんど残していません。 現在残されている利休の指南書で後世茶道界に大きな影響を与えたといわれる「南方録」という記録本があり


【会員活動報告】「皆川広照の軌跡」をたどる
2026年8月22日 皆川歴史研究会のパネル展示説明会へ 2026年8月22日(土)、栃木市の「きららの杜 とちぎ蔵の街 学習館」で開催された、皆川歴史研究会によるパネル展示説明会 「戦国を駆け抜けた 皆川広照の軌跡。歴史資料から読み解く 激動の10年」 に、「栃木の武将 藤原秀郷をヒーローにする会」のメンバーで参加してきました。 今回の展示は、皆川氏の菩提寺である金剛寺の所蔵資料を中心に、皆川広照が生きた戦国時代の動きを詳細に読み解いたものです。 会場には数多くのパネルが並び、古文書や絵図、地図などの歴史資料をもとに、皆川広照を取り巻く武将たちや合戦、当時の勢力関係などが丁寧にまとめられていました。 ・歴史資料から見えてくる「皆川広照」 当日は、皆川歴史研究会の皆さんから、展示パネルに沿って詳しい解説をしていただきました。 戦国時代、北関東では佐竹氏、宇都宮氏、佐野氏、北条氏など、さまざまな勢力がせめぎ合っていました。 そうした激動の時代を、皆川広照はどのように生き抜いたのか。 展示された史料を一つひとつ読み解きながら説明を聞


ここから古への想い《3》「本多正純と佐竹義宣」―かつて自分を秋田へ追いやった男を、なぜ義宣は遇したのか—
2026年8月20日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 佐野の新吉水第一公園に本多正純の「吉水陣屋跡」の石碑。そして、戦国時代「東方の衆」として佐野氏が一緒に歩んだ佐竹氏。1585年(天正13)須花の戦いで討ち死にした佐野家16代当主佐野宗綱亡き後養子先候補だった(候補は誰だったんだろう?) 歴史には、不思議な巡り合わせがある。 慶長7年(1602)、常陸54万石余を領した佐竹義宣は、徳川家康によって出羽へ移された。先祖代々の地・常陸を離れ、秋田・仙北を中心とする地へ。その後の石高は約20万石余となり、佐竹氏にとっては大きな転機となった。原因としては関ヶ原の戦いでの曖昧な中立、上杉景勝との密約説などあるが、しかし、本音は50万石、5万の兵力を有する外様大大名を江戸近く置くのは危険と思ったのではと┅私の推測です. この転封をめぐっては、本多正信・正純父子の存在が伝えられている。『梅津政景日記』に関係する記事では、佐竹氏ほどの大大名には出羽一国を与えるべきだという意見に対し、「出羽一国では常陸と変わらない」として、半国程


【会員活動報告】佐野支部恒例ブラ散歩《6》「唐沢山神社、風鈴参道」へ
2026年8月8日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 「唐沢山神社、風鈴参道」へ 今日のお目当ては親交がある「たきがわ よしひろ」さんの「和楽器納涼ライブ゙」 午後6時相乗り一台で行ったのですが、駐車場は既にほぼ満車、やっと一番遠い所に止められた。 かなりの距離がありましたがゆっくり社殿へ向かうと、通りすがりに「こんにちは、こんばんは」見たことある方々がたくさん┉ 食い違い虎口広場では「秀郷太鼓チーム」の熱演ライブ、私たちはオリジナル提灯借りてテクテクテク┉ 予報ではこれから雲行きが怪しいとのこと、「ゲリラ豪雨」が忍び寄ってきている? 気合いを入れて和服で参加のMさん、さすがに足元は草履ではヤバイのでスニーカー? さて、風鈴参道をくぐり抜けてライブ会場の拝殿へ。お参りを済ませた後、雲行きを心配して先にたきがわさんとシックス?ショット。 いよいよ開演「令和8年8月8日午後8時から8時間?の記念ライブの予定でしたが天気が怪しいので開始時間を繰り上げ時間も短縮することにいたしました、ごめんなさい。」 ...


【会員活動報告】藤原秀郷流を訪ねて《13》「船越六郎と二つの神社」
2026年7月5日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 船越六郎と二つの神社 先日、「藤原秀郷をヒーローにする会」宇都宮での会合に途中参加、「藤原秀郷を是非大河ドラマに」と盛り上がり「では、主役の秀郷は誰にしましょうか?」。すると会員の舩越さんから「2時間ドラマの帝王、船越英一郎でしょう、本人も秀郷の子孫だと自負していますから」。実は、会員のこの舩越さんも秀郷の子孫と自負している一人です、なるほど。 周囲の人からは「荘厳な昭和の大河ドラマならありかもしれませんが、今の大河ドラマはコメディ色あり、加えて史実を越えたフィクションも多い。若い人向けの役者陣ですからね」と切り返し、大河ドラマ談義の尽きない楽しい時間でした。 10年以上前にNHKの「ファミリーヒストリー」と言う番組で船越英一郎さんが出演、 先祖が藤原秀郷で旧田沼町船越町(現在の佐野市)住んでいたと話していたことを思い出し調べてみると、英一郎氏は船越家34代目(本家か分家は不明)になるとの記事を発見、俄然やる気モードに突入。 船越家ってどんな家? 藤原北家秀郷流佐


『天王祭』境内神楽殿での奉納演芸! 2026年7月19日開催
栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会は、 昨日、宇都宮二荒山神社・天王祭において、奉納演芸を務めさせていただきました。 梅雨の晴れ間にも恵まれ、多くの皆様にご来場いただき、盛況のうちに終えることができました。 今年は、当会が活動を始めて10年という節目の年。 その節目に、藤原秀郷公ゆかりの宇都宮二荒山神社の神楽殿という特別な場所で、奉納という形で講演の機会をいただけたことを、大変光栄に思います。 当会の講座ではおなじみとなった「岡田さん&水野先生」の講演では、秀郷が二荒山神社にて戦勝祈願をしたことが記されている『二荒山神社由緒書き』を題材に藤原秀郷公の功績や二荒山神社との深い関わりをご紹介。 続いて当会の動画アニメーションでも語って貰っている、宮の語りべ有岡光枝さんの『宇都宮の妖怪、百目鬼退治』を話していただきました。 ・アニメーション→https://youtu.be/FPys2nowXtM そして大トリは、オリジナル講談、「宇都宮の宇の字を取ってウットリ」の”都 宮子”さんの登場! 『瀬田の大百足退治と将門討伐』をご披露いただきました


【会員活動報告】宇都宮の奥州街道を歩いてみた!
2026年6月12日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 専務理事 岡田康男 宇都宮の奥州街道を歩いてみた! 宇都宮が関東の重要拠点であったといわれる訳の一つ、それは・・・ 江戸時代に定められた主要幹線道「五街道」の内二つの街道「日光街道」と「奥州街道」が通っている珍しい街であるということで、それだけみても重要な町であり地域だったことがわかる。 ということで、今回は、われらがヒーロー「藤原秀郷」とは直接的には関連ないが、秀郷などから生まれたその後に続く武士の時代の約600数十年後の江戸時代初期、重要な都市であった宇都宮の街なかを貫く「奥州街道」を歩いてみようと思う。 ●まずは五街道について(※当時は「街道」ではなく「道中」といった) 江戸時代はじめの1601年(慶長6年)、徳川家康が整備し始め、二代将軍秀忠の時代に基幹街道として定められた五つの街道。江戸・日本橋(または江戸城大手門)を起点に地方へ向かった「東海道」「日光道中」「奥州道中」「中山道」「甲州道中」の五つの陸上幹線道のこと。1716年(享保元年)五街道の正式名称が定められた。 ▶︎

