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その4 平将門はなぜ「新皇」を名乗ったのか?

その4 平将門はなぜ「新皇」を名乗ったのか?

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!

 

平安時代中期の935~940年(承平5~天慶3年)、京の貴族を震え上がらせた関東の大規模な反乱を起こした平将門は常陸、下野、上野の国府を制圧し、突然「新皇」を名乗ります。京の天皇とは別に関東を治める「新しい天皇」だというわけで、日本の反乱では空前絶後の大事件です。

将門が「新皇」を自称した動機は何だったのでしょうか?



 

新皇就任を記録したのは『将門記』だけ

 

将門の「新皇」自称を記録しているのは『将門記』だけです。京の同時代史料からは、将門が関東で大規模反乱を起こし、藤原秀郷が鎮圧したこと、朝廷・貴族が恐れおののいて大混乱したことは分かりますが、将門の「新皇」自称は書かれていません。『将門記』がなければ、歴史に残らなかったことなのです。


『将門記』から見る経緯です。

将門は940年(天慶3年)12月15日に上野国府を襲撃。そして19日、一人の巫女(みこ)が現れます。

「われは八幡大菩薩の使い。天皇の位を将門に授ける」

将門は頭上に両手を掲げ、位を受けるポーズをして拝礼。将門に従う兵たち数千人は一斉に立ち上がって喜び、ひれ伏しました。

将門の弟・平将平は「皇位に就くべきではない」と忠告しますが、将門は激昂。

「世の人は戦いに勝つ者を主君とあおぐ。たとえわが国になくても、多くの事例が外国にあるのだ」

将門は弟を叱りつけました。



 

巫女の神託 本気か演出か悪ノリか?

 

巫女の神託は何だったのか、推測すると……。


① 兵たちを納得させ、煽るための仕込み・演出。

② 巫女は神憑り。本気の神託、あるいはトランス状態から。

③ 兵たち・民衆の熱気による勢い。集団的興奮状態で将門も止められず。

④ 悪ふざけ。泥酔したノリなど、仕込みだとしても本気ではなかった。


こういった理由が考えられます。①仕込み・演出説――なら意図的なもので、②神憑り③兵の熱気――ならハプニングだったということになります。④悪ふざけ――に関しては、「将門は民衆に同情して挙兵した純朴な青年で、天皇への反抗心はなく、皇位を狙う野心もなかった」という見方。現代的解釈といえます。


『将門記』のこの場面だけ見れば、ハプニング的な流れに見えます。しかし、将門の言葉には強い野心と本気度が感じられます。


私の結論は①。ハプニングでも悪ノリでもなく、日本史上ほかに例のない新国家樹立を大まじめに考えていたのではないでしょうか。

中国では王朝がしばしば変わること、将門自身も桓武天皇の末裔であること、人々を従わせるためには最高の地位が必要であることを十分に意識した行動だったと思います。




参考にこちらもごらんください👇

 

「平将門」とは何者か。圧倒的な強さで関東制圧、50日間の独立王国 | 戦国ヒストリー

 

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