平将門 たいらのまさかど
最終更新: 1月8日

File No2
【平将門】
たいらのまさかど
【生年】900年頃
【没年】940年頃 詳細不明
【氏族・血族】
桓武平氏(第50世桓武天皇五世の孫)
【在所・在位】
下野国・武蔵国の国司(現代の県知事)
■平将門の概要
平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子という恵まれた血筋ではあったが、当時は藤原全盛の政権下で、官位は低かった。
父の所領下総から官位を求めて上京したこともあったが、なかなか認められず下向、制度への反発や身内の争いなど様々な要因をもとに、武士はじめての反乱として有名な「平将門の乱」を起こすことになる。
■平将門の乱、以後
「平将門の乱」以後、将門塚の周りで天変地異が起こり、これを将門の祟りと恐れた当時の民衆を鎮めるため神と祀られ、延慶2年(1309年)神田明神に合祀される。江戸時代、神田明神は幕府により、江戸城の鬼門に遷座。
明治以降一時、朝廷に刃向かった逆賊として、神田明神から外され将門神社に遷座させられたが、後に再び神田明神に合祀された。
武士として、また妖物として、様々な伝説があり、現代にいたるまで人気が絶えない。
地獄の盟主、晒し首の伝説、鉄身伝説、七人将門伝説、現代の名主伝説、大手町の守護伝説、など。
「帝都物語」(荒俣宏)に詳しい。
日本三大怨霊のひとり(他の二人は、菅原道真、崇徳院)
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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