【第13回】 「鎌倉殿の13人」と藤原北家?
はじめての歴史ブログ 第13回
ライター記者:ゆめか
みなさんこんにちは!
前回の投稿では、藤原氏とは一体何者なのかを、初心者目線で私なりに調べて書いてみました!藤原氏の人数の多さ、そして「摂関政治」によって政治の中心的存在でもあった彼らの末裔は時代を超えて、鎌倉時代へと続いたようです。。藤原氏の時代、おそるべし。
さて、全国に広がりをみせた「藤原氏」ですが、時代を超えて鎌倉時代にもその広がりをみせていたそうなんです。(ぎょっ)
■2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
来年放送予定の「鎌倉殿の13人」。実は坂東武士・藤原氏に関わる内容になっているようなんです!
ドラマの監督はあの三谷幸喜さん!そして主役は小栗旬さんという豪華なラインナップです☆
でもどう坂東武士や藤原氏に関係があるのでしょうか?
早速みていきましょう♪
■ストーリー
ストーリーは鎌倉幕府真っ只中。
それまで世を仕切っていた平家に反逆するべく源頼朝(みなもとのよりとも)が坂東武士団を集結!
武士団の中で一番の側近だった源義時(みなもとのよしとき)が平家一門を打ち破る。
しかしその後、源頼朝が謎の死をとげ、側近に仕えた13人の家臣のうち争いが始まるのです…。
頼朝が坂東武士団を集結するんですね!これだけでも面白そうな感じがしてきました!
■「鎌倉殿の13人」のうち4人が藤原北家!
頼朝に仕えた13人の武士の中に4人も藤原北家がいるようなんです!
13人のリストを見てみると…
▼▼詳しいリストはこちらからご覧ください▼▼
比企能員 (ひき よしかず)→藤原北家秀郷流
安達盛長 (あだち もりなが)→藤原北家魚名流
足立遠元 (あだち とおもと)→藤原北家魚名流
八田知家 (はった ともいえ)→藤原北家道兼流
■まとめ
びっくりです。頼朝の側近として4人も仕えるほど「藤原氏」の広がりは鎌倉時代まで続いていたとのことです!さらに比企能員(ひきよしかず)は鎌倉時代の有力御家人でもあるようで、武士の始まりですの1人とされる栃木の武将『藤原秀郷』の末裔とのこと!!(栃木の秀郷の末裔がここまですごい人たちに繋がっていたなんて.... ! 知りませんでした。。
放送までまだ時間はあります!
鎌倉時代に活躍した頼朝に仕えた藤原氏について【カンタン年表】でおさらいしておきましょう☆
【カンタン年表】
▼▼ 画像をクリック♪▼▼
【鎌倉殿の13人」と藤原北家の関係についてより詳しく知りたい方はこちら】
▼▼ 画像をクリック♪▼▼ https://www.bando-bushi.com/kamakura-dono-no-13ninn
はい!今回のブログはここまでとします!
今回の内容にも出てきた「〇〇流」ってどういう意味?と疑問に思ったので、その意味などについて書いていきたいと思います!
最後まで読んでくださりありがとうございます☆
また次回のブログでお会いしましょう~♪
*English summary*
Previously, I wrote about how Fujiwara’s ancestor dominated the Japanese politics in Heian period, and we could see their clan spread all over Japan. In 2020, Japan’s national broadcaster called NHK will broadcast “Kamakura dono no 13 nin” which is about 13 vassals who served Minamoto no Yoritomo in Kamakura period. The story is mainly about their conflict to choose who will be the next Shogun. Among them, there were 4 Fujiwara clan, and one of them was actually Fujiwara Hidesato’s direct lineage.
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