忠臣蔵の大石内蔵助は、藤原秀郷の子孫だった。
【忠臣蔵の大石内蔵助は、藤原秀郷の子孫だった。】
師走12月といえば、赤穂浪士の「吉良邸討ち入り」を思い浮かべます。
世界初の長編小説「源氏物語」と並んで、日本の古典を代表する読み物の一つです。
基になった話は、実際の刃傷事件「赤穂事件」で、多くの作家が題材にしました。決定版になったのが戯作者の竹田出雲、三好松洛、並木千柳(宗輔)が共同で書いた「仮名手本忠臣蔵」です。
この物語は、武士の哲学、親子・家族の感情、男女の愛憎などを重層に組み上げた大河ドラマで、それ以降現代まで300年にわたって、多くの小説や映画になりました。
物語の主人公は、もちろん事件を起こす浅野長矩や仇の吉良上野介ですが、一番の主役は、討ち入るリーダーの大石内蔵助ではないでしょうか。脱盟や資金繰りなど多くの障害を抱えながら、46人の元家臣たちを引き連れ仇打ちを果たしたリーダーシップは、現代でも多くの人々を引きつけてやみません。
そして実は、大石内蔵助はその先祖をたどると我らがヒーロー藤原秀郷につながるのです。内蔵助自身も藤原北家秀郷流を意識していたのでしょう。
その武芸の鍛錬を怠らず山鹿流の兵法を学ぶなど、平和な元禄の時代にあっても武士としての意識を常に持ち続けていたのです。それがあの討ち入りという大挙を成し遂げた要因だったのかもしれません。
新型コロナウィルスが猛威を振るう今年の年末は、私たちも日頃からの注意や対策を怠らず、気持ちも体も負けずに新年を迎えましょう!
2020年12月1日
文 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 局長:岡田康男 イラスト/みやもとデザイナー:田口義尚
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