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北条 早雲 ほうじょう そううん


No. 47


【北条 早雲】

ほうじょう そううん 

Hojo Soun



下剋上により戦国時代始まりのきっかけを作った。一武士から戦国大名へ登り、小田原北条氏隆盛の基盤を作った名将。



【別称・通称】伊勢新九郎/伊勢盛時/伊勢宗瑞/早雲庵宗瑞(号)

【官位】左京大夫(説)

【生年】康正2年(1456年)

【没年】永正16年(1519年)

【時代】室町時代

【氏族・血族】伊勢氏(後北条氏)

【在所・所領】小田原

【墓所】金剛峰寺(和歌山県伊勢郡高野町)/早雲寺(神奈川県足柄下郡箱根町)

【由縁の場所】小田原市/箱根町


【家系・系譜】

父:伊勢盛定?  

母:伊勢貞国女  

養父:伊勢貞道

妻:南陽院殿  

側室:葛山氏、善修寺殿

兄弟:貞興、弥二郎、北川殿(今川義忠室)

子:氏綱、氏時、葛山氏広、長綱 他




下克上


北条早雲は、一介の武士から戦国大名になった下剋上の始まりの一人で、戦国時代幕開けのきっかけとなった人物といえるだろう。


そんな早雲は、亡くなる時点でも「北条」と言う姓名を使用することはなく、伊勢盛時というのが正式名称である。


北条姓を使うようになったのは、二代目の北条氏綱からである。「早雲」という名も、後世の人たちがよんだ名だと考えられる。





早雲の関東進出


北条早雲の父は、室町幕府の政所執事を務めた備中荏原郷(岡山県井原市)を領した高越山城主の伊勢盛定といわれ、早雲はその子・伊勢盛時として誕生した。


文明3年1471年15歳の頃、備中荏原郷で出された文書に伊勢盛時の署名があり、京都で活動する父に代わって所領の荏原郷の管理を行っていたと考えられている。


文明6年1476年今川家で家督争いが起こり、室町幕府の命も受けた早雲が調停する。

このことが早雲と今川家との絆を強め、後の関東進出と後北条氏誕生の契機になった。

文明13年1481年第九代将軍・足利義尚の「用件取り次ぎ役」申次衆に就任。伊勢新九郎盛時の名が文書に現れるようになる。


文明15年1483年の記録にも、室町幕府の申次衆として伊勢新九郎盛時の名が見られる。

文明17年1485年頃、早雲は、室町幕府の奉公衆・小笠原政清の娘(南陽院殿)と結婚。1487年嫡男・北条氏綱が生まれる。


長享元年1487年将軍の親衛隊である奉公衆となる。


早雲は、今川氏親を支援するため氏親の家臣となったようで、富士の十二郷と興国寺城が与えられ、興国寺城主となる。この興国寺城が、その後伊豆、相模へと進出する起点となる。

延徳元年1489年次男・北条氏時が誕生。





早雲の伊豆統治


伊豆では堀越公方の家督争いが起こり、伊豆国は内紛状態となった。この事態に、早雲は第十一代将軍・足利義澄の命を受け伊豆に侵攻した。この伊豆入りが戦国時代の幕開けとされる。


早雲は、居城を韮山城(現在の伊豆の国市)に移すと、伊豆の統治を開始。

明応7年1498年8月25日朝、明応の大地震(明応地震)が発生。大津波が紀伊から房総の海岸を襲いった。西伊豆や沼津などでは10m~30mの大津波が押し寄せ被害は甚大となった。淡水湖だった浜名湖も、この時現在のように太平洋と繋がったとされる。鎌倉でも高徳院の大仏殿が津波により破壊された。


早雲は、大地震の復興に尽力し、伊豆の被災者を助けることで民衆の支持を得て伊豆平定を進めていった。




早雲の治世がのちの武家政権の手本


また早雲は、明応3年1494年頃からは今川氏親の遠江侵攻に対しても出兵するなど、多方面で活躍しており、遠江を今川家の勢力下に収めるよう尽力した。


重い税制を廃して「四公六民」の租税を定め、領民の負担を軽減、悪政の元で苦しんでいた伊豆の武士や領民は早速早雲に従ったという。また、大名としてははじめて検地を行い、農民主体であるという考えに基づき治世を行った。


早雲の家訓と伝わる早雲寺殿廿一箇条の中に

「上下万民に対し、一言半句であっても嘘を言ってはならない」とある。


これら優れた早雲の治世を、その後の北条家は代々遵守し、豊臣秀吉による小田原攻めまで、戦国時代の中で唯一といっていい程、家臣・領民の大きな争いがなかったといわれている。


永正3年1506年早雲は小田原周辺で検地を実施。戦国大名による最初の検地である。

永正6年1509年以降、早雲は政治的に今川家から独立し、本格的に相模国への進出を画策したようである。


永正15年1518年家督を嫡男・北条氏綱に譲る。

永正16年1519年に韮山城で死去。享年は64歳。


嫡男の北条氏綱は、2年後に菩提寺として早雲寺(神奈川県箱根町)を創建している。






※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。



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