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妙印尼 みょういんに 

最終更新: 1月15日


File No. 43

【妙印尼】

みょういんに 

myou in ni


女71歳にして、攻めてくる敵と戦うために籠城を指揮した。


【生年】永正11年1514年

【没年】文禄3年1594年

【氏族・血族】横瀬氏〜由良氏

【所領】上野国太田

【墓地】茨城県牛久市城中 得月院


上野国新田金山城主・由良成繁の妻。

俗名=輝子


■生涯について

藤原北家秀郷流の赤井氏、赤井重秀の娘とも赤井家堅の娘ともいわれるが定かではない。

新田氏の子孫ともいわれ、太田を中心に館林・足利・桐生などを治めていた由良成繁の室となるが、夫の成繁が亡くなると出家し、妙印尼と名乗る。

81歳で没。茨城県牛久市城中の得月院に葬られた。


■活躍について

妙印尼の活躍が語られるのは、夫の由良成繁が亡くなった後、天正12年頃といわれる。

跡を継いだ嫡子の国繁が北条氏照に捕らえられ、金山城が攻められて降伏を迫られる。

その時71歳の妙印尼は三千名の家臣を率いて金山城に籠城し、見事な戦いぶりで北条氏に対し和睦を結ばせた。


結果、捕らえられた国重たちとの交換として金山城を失ってしまうが、その後は桐生に移り由良氏は存続した。

小田原合戦では、嫡男の国繁が小田原城に籠城する一方、77歳の妙印尼は孫の忠繁を中心に300の家臣を連れて豊臣方の前田家の陣に参陣する。

その功績により、由良家は、豊臣秀吉から常陸牛久5400石を与えられ転封した。




※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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