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妙印尼 みょういんに 


No. 51


【妙印尼】

みょういんに 

Myo in ni


71歳にして攻めてくる北条氏に対抗するため籠城を指揮、その後豊臣方に参陣した戦国時代最強の女丈夫といわれる。


【別称・通称】輝子

【官位】?

【生年】永正11年(1514年)

【没年】文禄3年(1594年)

【時代】戦国時代〜安土桃山時代

【氏族・血族】横瀬氏、由良氏

【在所・所領】上野国太田、新田金山城

【墓所】茨城県牛久市城中、得月院

【由縁の場所】太田市、金山城址

【家系・系譜】

父:赤井重秀または赤井家堅

夫:由良成繁

子:由良国繁 長尾顕長



上野国新田金山城主・由良成繁の妻。

藤原北家秀郷流の赤井氏、赤井重秀の娘とも赤井家堅の娘ともいわれる。

新田氏の子孫ともいわれ、太田を中心に館林・足利・桐生などを治めていた由良成繁の室となるが、夫の成繁が亡くなると出家し、妙印尼と名乗る。



■生涯について


妙印尼の活躍が語られるのは、夫の由良成繁が亡くなった後、天正12年1584年頃といわれる。跡を継いだ嫡子の国繁が北条氏照に捕らえられ、金山城が攻められて降伏を迫られる。

その時71歳の妙印尼は、三千の家臣を率いて金山城に籠城し、見事な戦いぶりで北条氏に相対し、和睦を結ばせた。結果、国重たちとの交換として金山城を失ってしまうが、その後は桐生に移り由良氏の存続に尽力した。


6年後の小田原合戦では、嫡男の国繁が小田原城に籠城する一方、77歳の妙印尼は孫の忠繁を中心に300の家臣を連れて豊臣方の前田家の陣に参陣する。

その功績により、由良家は、豊臣秀吉から常陸牛久5400石を与えられ転封した。


文禄3年1594年死去。享年81歳。

茨城県牛久市城中の得月院に葬られた。




※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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