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佐野源左衛門 さのげんざえもん 

最終更新: 5日前


File No. 31

【佐野源左衛門】

さのげんざえもん 

genzaemon-sano


「いざ鎌倉」という武士の心得を打ち立てた武将。

He became an example of “SAMURAI” warrior's mental attitude “IZA KAMAKURA”.


【別名】

(諱)常世(つねよ)

【官位】従五位上長門守、左衛門尉

【生年・没年】不詳 

鎌倉中期 1250年頃

【氏族・血族】藤姓足利流佐野氏

【主君】鎌倉幕府(北条執権)

【所領・在所】下野国佐野荘



■いざ、鎌倉!「鉢木」の物語

「いざ鎌倉」という武士の心得は、能の演目『鉢木』によって描かれ、後世に伝えられた。

そのモデルとなった武士が佐野源左衛門である。


『鉢木』は、鎌倉幕府執権だった北条時頼が康元元年(1256年)に病でたおれ、出家して西明寺入道となり、自らの地位を隠し旅僧として諸国行脚したことが記されている『太平記』や『増鏡』を元にしたものだとされる。


能「鉢木」の作者は、観阿弥・世阿弥ともいわれるが定かではない。


■『鉢木』物語のあらすじ

ある雪の日、旅の僧が下野国佐野荘にある佐野源左衛門の小さな家に一夜を借りに立ち寄った。源左衛門は、貧乏ながらもなけなしの栗飯を出し、暖をとるために秘蔵の鉢植えの梅・松・桜を火にくべて精一杯のもてなしをした。

そして、その夜話に自分が一族に佐野庄三十余郷の領土を押収されたことを僧に話した。

「今は落ちぶれているが、鎌倉にもしものことがあれば「いざ鎌倉」と馳せ参ずる覚悟である」と語った。

僧が旅立った後、幕府から招集命令が下り、諸国の武士が鎌倉に駆けつける内に源左衛門もいた。源左衛門が執権に召し出されると、そこに現れたのは入道となった北条時頼で、あの雪の日に泊まった僧が時頼だったことを知る。

時頼は、源左衛門に押収された佐野庄三十余郷を返し与え、さらに家でもてなされた時に使った薪の種類に合わせ、梅・松・桜の名のつく荘を与え、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土と、さらに小田原城を恩賞として与えたといわれている。



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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