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【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?②

2025年5月16日

栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会

会員 安延 嶺央





沖縄県と栃木県に関連があるというと、距離や文化等の違いから半信半疑になられるかもしれません。そこで、今回はこの点について明らかにした上で、琉球の歴史を簡単にご紹介します。



実はつながっていた?東日本と西日本


まず、距離については前回ご説明したとおり、奈良時代から、下野国(栃木県)は東山道で西日本と直結しています。群馬県、埼玉県を含む北関東には前方後円墳が多く分布しており、古代から北関東は西日本と活発に交流していたのです。その上で、源平合戦の後、那須氏は備中荏原荘(岡山県)にも拠点を持っています。

 

また、卑弥呼の時代から平安時代前期まで、日本は中国と絶えず交流を続けてきました。長安や洛陽と九州・奈良の距離や文化の違いを考えれば、栃木県と沖縄県のそれがいかほどのものでしょうか。北関東は古来、大和朝廷の力の及ぶ東の果てです。そしてそこから、坂上田村麻呂然り、東北地方へ進出していったのです。北の境界を拓き、守る猛者たちが、西日本に拠点を得た那須氏による南の新天地進出に駆り出されるのは自然なことではないでしょうか。



沖縄のルーツは海の民


沖縄出身の方と言えばどのような方を想像されるでしょうか?テレビの中で活躍している南国的な顔立ちの美男美女でしょうか?それは決して間違いではありません。確かに沖縄の方々と関東の方々は、顔立ちも、遺伝子的な調査の結果も、全く同じではありません。だから私も、沖縄県民はそっくり栃木県からの移住である、などと言うつもりは全くありません。

 

例えば『肥前国風土記』に、五島列島の海の民は容貌や言語が異なっており、騎射が巧みである、とあります。時代が下り、朝鮮半島の『李朝実録』にも同様の記載があります。古代から隠岐、壱岐、対馬、五島列島、奄美、琉球、そして大陸沿岸まで広く活躍していた海の民は、やや南方系の列島人の一派だったのでしょうし、その人たちが沖縄の人たちの主なルーツだと考えています。



沖縄の中にある“東日本っぽさ”


しかし、そこに坂東武者、具体的には那須氏と秀郷流藤原氏の一派が関与した形跡があるのです。例えば、沖縄方言には東日本由来のものがあります。沖縄では「母」のことを「あんまー」と言いますが、これは古代東国語の「あも」が起源です。沖縄では地域のリーダー、または一族の始祖のことを「按司(あじ)」と言いますが、これも私は通説の「主」ではなく、古代語「かぞ(父)」であると考えています。現代と違い人口が少ない社会の小集団のリーダーなら、「オヤジ」のニュアンスがピッタリですし、だからこそ、一族の始祖の意味にも当てはまると考えます。傍証として、奄美、埼玉県秩父、そしてなんとアイヌ語で父を「アチャ」と呼ぶそうです。基礎的な家族関係を表す語彙が東日本由来だというのは重い事実ではないでしょうか?

 

また、琉球の歌集『おもろさうし』には、室町時代以降の編纂にも関わらず、「京・鎌倉」と対になっている箇所があり、琉球の栄えている場所を「鎌倉」に例えていますが、これは坂東武者の感覚そのものです。琉球とはつまり、海の民と坂東武者が融合し、その後独自に発展していったものだと私は考えています。



琉球の歴史と、そこに見えかくれする那須氏


琉球の歴史を簡潔に記すと以下のようになります。

 ・舜天王統 (1187~1259)

 ・英祖王統 (1259~1349)

 ・察度王統  (1350~1405)

 ・三山時代   (14世紀前半~1429)…北山・中山・南山が分立。

 ・第一尚氏  (1406~1469)…1429年尚巴志が三山統一。

 ・第二尚氏  (1469~1872)

 ・沖縄県    (1872~)

 壇ノ浦の合戦の2年後、半ば伝説的な王統である舜天王統が始まっています。そして、いくつかの王統の時代や群雄割拠の時代を経て、本州で足利氏による政権が成立し、中国や朝鮮半島と盛んに交易が行われるようになった時期に、琉球も統一され、以後、独自の文化圏として発展していきます。

 

 これらの各王統のうち、少なくとも舜天王統と、三山時代の南山が那須氏関連だと私は考えています。沖縄県中城村にある舜天を祀った御嶽(ウタキ:神を拝む場所)の神名は「ナスツカサ御イベ」ですし、後期南山が所在した糸満高嶺の南山城の物見城は「一名『烏山』トモ云フ」とあります(『南山の歴史』(上原佐吉 高嶺村役場 大正4年))。1414年頃、那須氏が兄弟で分裂したのと全く同時期には、琉球南山でも全く同じことが起きています。更に、南山城の隣には水源となる泉がありますが、『琉球国由来記』に、日照りで人々が困った時にこの泉を発見した犬が石になった話が記されています。外房外川の千騎ヶ岩・犬岩が有名ですが、犬が石になる民話類型は東日本に多く分布します。



次回は、特に栃木県との繋がりが濃厚であると考えている舜天王統・南山について具体的に見ていきたいと思います。

 



筆者プロフィール

安延 嶺央 (やすのぶ れお)


関東で育ち、関西で学び、沖縄に暮らしています。あるきっかけから歴史に関心を持ち、古代から中世の列島の歴史について調べるうちに、琉球王国には坂東武者が深く関わっていることを確信し、坂東武者について調べる中で坂東武士図鑑(※当HP)に巡り合いました。坂東武者と琉球の関係を綴っていきますのでよろしくお願いいたします。


▼ 「note」 でも栃木県と沖縄県をテーマにした記事を掲載中です






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