

【会員寄稿コラム】東京・多摩に残る秀郷の痕跡③
2025年12月27日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 戸室 直隆 藤原秀郷をヒーローにする会の戸室と申します。 戸室は下野佐野氏の庶流、藤原秀郷公の末裔の一人となります 。今回は前回まで紹介した秀郷の痕跡が残る場所を分析し、藤原秀郷や平将門が多摩郡でどのような動きをしていたのかを振り返りたいと思います。 伝承から浮かび上がる秀郷の動き 前回まで色々な伝承を見てきましたが、多摩各地の伝承で藤原秀郷と平将門の登場をまとめると、次のようになります。 藤原秀郷と平将門の多摩各地の伝承の登場比較 ※表示内の①は平将門討伐前、②は討伐後と推測される伝承 こうしてみると、藤原秀郷、平将門の両方登場する場合と、どちらか一方のみ登場する場合に分けられます。秀郷のみ登場するのは府中市とあきる野市、将門のみ登場するのは八王子市、青梅市、奥多摩町、両方登場するのは多摩市、羽村市、日の出町です。また、①は将門が存命中、②は将門の敗死後と推測される伝承に分けていますが、将門の存命中のだけでなく、将門が破れた後の伝承もあることが分かります。もしこれらの伝承


【会員寄稿コラム】東京・多摩に残る秀郷の痕跡② (あきる野市/阿伎留神社・二宮神社)
2025年12月26日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 戸室 直隆 藤原秀郷をヒーローにする会の戸室と申します。 戸室は下野佐野氏の庶流、藤原秀郷公の末裔の一人となります 。今回は前回に引き続き、私の地元である東京・多摩地域に残る藤原秀郷の痕跡を紹介していきたいと思います。 阿伎留神社(あきる野市) あきる野市の名称の由来の一つにもなっている由緒正しい神社です。創立年は不詳ですが、藤原秀郷が平将門討伐の戦勝祈願に訪れ、京の大原野大明神の土を祀ったと言われています。年代は伝わっていませんが、武蔵阿蘇神社や勝峰山の言い伝えも考えると、こちらの祈願も天慶年間の940年前後の事と思われます。その後も武将の信仰を集め、源頼朝、足利尊氏、後北条氏、徳川家康など、蒼々たる武将が社領の寄進したと伝わっています。 樹木に覆われていて境内からは見えませんが、南側には秋川が流れており、武蔵阿蘇神社と同じような立地であることから、こちらも村内の最良とされる地に築いたのかもしれませんね。 阿伎留神社 住所:〒190-0164 東京都あきる野市五日市108


【会員寄稿コラム】東京・多摩に残る秀郷の痕跡①(府中市/高安寺・秀郷稲荷大明神)(羽村市/武蔵阿蘇神社)
2025年12月25日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 戸室 直隆 藤原秀郷をヒーローにする会の戸室と申します。 戸室は下野佐野氏の庶流、藤原秀郷公の末裔の一人となります 。秀郷の活躍の痕跡は栃木県だけでなく、東日本の様々な場所にあります。その中でも今回は、私の地元である東京・多摩地域に残る藤原秀郷の痕跡を6箇所紹介していきたいと思います。アクセスが良い所も多いので、多摩地域にいらっしゃる機会がありましたらぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか? 高安寺・秀郷稲荷大明神(府中市) 高安寺は府中市にある寺院で、JR南武線・京王線の分倍河原駅から徒歩7分くらいの場所にあります。敷地内には、かつて藤原秀郷が居住した館が存在したと伝わっている場所に秀郷稲荷大明神があります。なぜ今の栃木県に当たる下野国で活躍していた秀郷の館が、下野国から遠く離れたこの地にあったとされるのでしょうか? 秀郷は平将門討伐の功績で下野掾から下野国司に昇格した他にもう一つ、武蔵国司にも任命されています。その国司になった折に、武蔵国の国府であった府中の地に館を構えた





