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【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?③

更新日:6月6日

2025年5月23日

栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会

会員 安延 嶺央





琉球王国と言えば、明治初期まで存続した第二尚氏が有名ですが、実は歴史上いくつかの王統が存在していました。その一番初めとされるのが、舜天王統です。

舜天王統の王は3代、生年と在位期間は下記のとおりです。

 

 ・舜天 しゅんてん (1166年生 在位1187-1237年)

 ・舜馬順熙 しゅんばじゅんき (1185年生 在位1238-1248年)

 ・義本 ぎほん (1206年生 在位1249-1259年)



架空か、実在か?― 舜天王統と那須氏の関係


架空とされることもありますが、私はこの王統は間違いなく実在し、那須氏であると考えています。日本列島の歴史や、世界全体の気象現象を踏まえたとき、その年代や、数少ない伝承があまりに生々しいのです。


まず、1180年、源頼朝の挙兵と同年に舜天は14歳で浦添按司となり、壇ノ浦の合戦(1185年)後、那須氏が恩賞として備中荏原荘に拠点を得た2年後の1187年に、王となっています。

敗走した平家が琉球で王になったという話を耳にすることがありますが、従来からの利権や権力構造がある中、21歳の落武者を王にするでしょうか?勝者の側と通じ、交易の利益をもたらしてくれる人だからこそ、王にするのではないでしょうか?


舜天は71歳まで在位していますが当時としてはかなりの長寿です。第2代の舜馬順熙も63歳まで生きています。第3代の義本王は、その治世中に飢饉・疫病が発生して統治を続けられなくなり、英祖王統に禅譲したと言われています。

それが1259年のこととされていますが、その前年に本州では「正嘉の飢饉」が発生しています。その原因は、1257年にインドネシアのサマラス山が大噴火したことです。噴煙が舞い上がり、日照を妨げて世界的な冷夏、不作が何年か続いたのではないでしょうか。

 

そうなれば琉球も、本州も等しく被害を受けるでしょうし、琉球をバックアップする本拠地と想定している栃木県は当時の稲作地帯としては北に位置するので冷夏の被害は大きく、琉球までも支援する余力はなくなることでしょう。


これらの経緯を見るに、架空とはとても思えないのです。そしてまた、王の年齢や在位年数を見ると、当時の技術では対処が不可能な地球規模の異常気象に遭遇するまでは安定した政権だったようにも見えます。



琉球に残る「ナス」の痕跡


舜天王統の王たちが祀られた御嶽(神様を拝む場所)は沖縄本島中部の北中城村にありますが、そこの名前は「ナスの御嶽」、神名は「ナスツカサ御イベ」です。そこに行ってみると、門には有名な那須一文字とよく似た家紋が彫られていました。この門自体は比較的新しいものなので、これが根拠とただちに断言まではできませんが…。


ナスの御嶽(なすのうたき)/北中城村(きたなかぐすくそん)指定史跡
ナスの御嶽(なすのうたき)/北中城村(きたなかぐすくそん)指定史跡

また、同じ間切(村)には、「島袋(琉球本来の読み方は「しまぶく」)」という地名がありますが、栃木県と福島県の県境、白河の関のすぐ近くに「島福(しまぶく)」姓の方々が住んでおられます。那須氏の一派が南の新天地に来る時、屈強な北の関守を伴って来たのでは、と想像しています。



舜天王統から南山王統へ


最後に、舜天王統の78年後に始まったとされる南山王統の本拠地近くには、源為朝と大里按司の娘が逢ったとされる場所(和解名森:ワダキナムイ)があり、そして生まれた子供が舜天である、とも言われています。

 

これは事実とは到底思えませんが、別の見方をすれば、源為朝と大里按司の娘の話は、伊豆流人時代の源頼朝(源為朝の甥)と伊東祐親の娘の話と相似形なのです。

この時の源頼朝の娘は命を奪われていますが、琉球では生まれた子は王となり、結末だけが正反対の明るい話となっていることも意味ありげです。

 

何故、南山王統の本拠地に、舜天と源為朝、源頼朝、伊東祐親の娘の話が存在しているのでしょうか?

1335年、伊東氏が日向国、宮崎県に拠点を得た、またしても2年後に、琉球南山王統が始まっています。こうして、舜天王統―那須氏―南山王統―伊東氏―源頼朝―源為朝が繋がるのです。

 

舜天王統の約80年後に始まる琉球南山王統とは、西日本の拠点が備中荏原荘のみ(少なくとも舜天王統初期は有名な九州椎葉村の那須氏は有力勢力とはなっていません)で、世界的な冷夏による飢饉の際に立ち行かなくなってしまった舜天王統を、日向国伊東氏の助力を得てバージョンアップしたもの、と考えます。南山王統は材料豊富なので、稿を改めて様々な角度から考察していきたいと思います。




筆者プロフィール

安延 嶺央 (やすのぶ れお)


関東で育ち、関西で学び、沖縄に暮らしています。あるきっかけから歴史に関心を持ち、古代から中世の列島の歴史について調べるうちに、琉球王国には坂東武者が深く関わっていることを確信し、坂東武者について調べる中で坂東武士図鑑(※当HP)に巡り合いました。坂東武者と琉球の関係を綴っていきますのでよろしくお願いいたします。


▼ 「note」 でも栃木県と沖縄県をテーマにした記事を掲載中です






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