【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?④
- t-kojima12
- 5月30日
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2025年5月30日
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
会員 安延 嶺央

琉球王国の南山王統について書こうと考えていたのですが、琉球の歴史文化の根源のご説明なしに王統の議論を進めてしまうよりも、琉球の基層を明確にした上で王統について論じた方が良いと考え、琉球文化について、関東との関連を視野に入れながらお話ししたいと思います。
琉球の天地開闢神話とニライカナイ
まず、琉球の天地開闢神話、つまりどのようにして琉球は作られたのか?という神話的な伝承では、ニライカナイという海の彼方の理想郷から、アマミキヨ・シネリキヨという女神様・男神様が穀物を持ってやってきて、国づくりを始めた、とされています。これらの言葉は何を意味しているのでしょう?
ニライカナイは、民俗学の父・柳田国男以来、日本神話の「根の国」との関連が言われており、その他諸説ある状況です。しかし私は、これは坂東武者の間で広く行われた妙見信仰に関係があると考えています。
坂東武者との関連から見る妙見信仰
妙見信仰とは、古代中央アジアの遊牧民の間で始まり、仏教や道教と関係しながら東アジアまで伝わった、北極星・北斗七星の信仰です。日本へは7世紀に伝わり、その後千葉氏や平将門はじめ、坂東武者の間で広く行われていました。一因として、早春の関東平野は日本列島の中でも特に空気が澄んで、都市の灯りもない昔は、広々とした原野の夜空に北極星を中心とする星々が輝いていたこともあるかもしれません。
アマミキヨが降り立ったと言われる、沖縄本島東南に浮かぶ久高島では、正月三が日は豚と白いお餅を食べない風習がありますが、これは北関東・南東北地方に見られる、妙見信仰由来の風習と全く同じなのです。また、12年に1度行われていた久高島の祭り、イザイホーでは、七つ橋、七つ屋など、「七」の数字がしばしば現れますが、妙見信仰では北斗七星の「七」は聖数とされています。
神、あるいはノロという神に仕える女性が、白馬に乗って現れるという伝承や祭祀の形式は久高島を含む沖縄の複数地域で見られますが、白馬と神様の繋がりは妙見信仰そのものです。福島県の相馬野馬追にもその例が見られますし、平将門も白馬に乗っていたと言われています。
これをふまえて、沖縄の「ニライカナイ」を改めて考えてみましょう。琉球文化圏内でも、この発音には地域により多少の違いがあります。
ニルヤカナヤ・ギライカナイ・ミルヤカナヤ・ニーラスクカネーラスク…。
沖縄では北極星のことを「ニヌファブシ(子の方角の星)」、北斗七星のことを「ナナティブシ(七つ星)」などと呼びます。
関東の方言では北斗七星はナナヨボシ(七夜星)・ナナヨウボシ(七曜星)等々があります。
N/MとKの子音が融通されていて、「ニライカナイ」は、「子の方(星)・七夜(星)」ではないでしょうか?ニーラスク・カネーラスクのスクは宿、「星の宿り」です。海の彼方にあり、穀物が豊かに実り、空には北極星・北斗七星が輝く理想郷、それがニライカナイなのです。
アマミキヨ・シネリキヨと穀物の神話的意味
では、そのニライカナイからやってきたというアマミキヨ(女神)・シネリキヨ(男神)はどういう意味なのでしょう?「奄美から来た人」という解釈や、南洋で信仰や神話に現れる「アーマン(沖縄方言でオカヤドカリの意味)」との関連が言われますが、どうもしっくり来ないように思います。そこでゼロから考えてみます。
まず、特徴的なシネリキユの方から考えてみましょう。稲は古語で「シネ」です。穀物を持ってきた神だから、シネリキユのシネはこれでしょう。キユ(チュー)は、沖縄の人を「ウチナンチュー」と言うように、「人」を表す琉球方言です。
とすると、ニライカナイ同様N/MとKが融通されていて、「稲刈り→シネナリ→シネリ」、【シネリキユ=稲刈り人】となります。
アマミキヨは音の上でこれと綺麗にセットになっているようです。意味の上で稲と対になる穀物は、「粟」です。現代の宮中行事の新嘗祭や大嘗祭でも、稲と粟は同格として扱われ、琉球でも、粟は稲と同様に神事によく使われます。
粟は琉球、その他全国各地方言でアー/アワなので、ここもN/MとKの融通があると考ると、「粟蒔き→アーマミ」、【アマミキヨ=粟蒔き人】となります。
以上より、「アマミキヨ・シネリキヨ」=「【粟を蒔く人】・【稲を刈る人】」、「穀物名+動詞+人」の見事なペアになっています。
万葉集を調べてみると、粟は種まき、稲は稲刈りが歌われています。また、古来、種蒔きは女性の仕事、稲刈りは男性の仕事ですが、ここも神様の性別とピッタリ一致しています。
沖縄と関東の文化的接点
沖縄の北にある島、「奄美」の存在が大きすぎて、「アマミ・キヨ」と考えがちですが、「ア・マミ・キヨ」なのがポイントです。
沖縄は、素晴らしい南国のリゾート地というイメージがあるため、南方文化と見られがちですが、その根源をよく見てみると、東国武士団の妙見信仰や、関東平野を開拓して穀物を栽培し、その恵みに感謝して暮らしてきた農耕民の感覚が深く息づいているのです。
となると、文化の根源部分で、藤原秀郷の根拠地だった栃木県小山市の安房神社・その勧請元である千葉県館山市の安房神社・安房の国(千葉県)・阿波の国(徳島県)などと繋がってきます。これらは、すべて穀物の粟とも関係しています。
これらの信仰や農耕生活に関する、関東地方との深い繋がりを踏まえた上で、次回からは14世紀に始まる琉球南山王統について検討していきます。
筆者プロフィール
安延 嶺央 (やすのぶ れお)
関東で育ち、関西で学び、沖縄に暮らしています。あるきっかけから歴史に関心を持ち、古代から中世の列島の歴史について調べるうちに、琉球王国には坂東武者が深く関わっていることを確信し、坂東武者について調べる中で坂東武士図鑑(※当HP)に巡り合いました。坂東武者と琉球の関係を綴っていきますのでよろしくお願いいたします。
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