【水野先生コラム】西行の和歌「花の下にて春死なん」登場
- t-kojima12
- 7月15日
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2025年7月15日
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
顧問 水野 拓昌

理想の最期を詠む
2025年NHK大河ドラマ「べらぼう」、7月13日放送回のタイトル「願わくば花の下にて春死なん」は西行の和歌です。作中でも田沼意知(おきとも)とその恋人である花魁・誰袖(たがそで)がこの西行の和歌で何やら、やり取りしたようですが……。
「願わくば花の下にて春死なん その如月(きさらぎ)の望月の頃」
なお、史実的なことを言えば、田沼意知と誰袖の関係を示す史料はありません。誰袖は旗本・土山宗次郎に身請けされたので、土山宗次郎の愛人だったわけです。土山宗次郎は田沼時代に登用され、蝦夷地(北海道)調査にも関わり、田沼意次失脚後は横領発覚、斬首と、人生が暗転しています。なので、土山宗次郎は田沼派であり、田沼意知と肝胆相照らす仲だったしても不思議ではありません。
さて、西行の和歌の話に戻ります。
言うまでもなく、西行法師こと佐藤義清(のりきよ)は藤原秀郷の子孫。佐藤氏は秀郷流藤原氏の代表的な一族で、京の名門武家です。
和歌の意味は割と分かりやすいと思います。「如月」は2月、「望月」は満月のことで、西行は、如月の満月すなわち旧暦2月15日に花の下で死にたいというのです。この2月15日というのは釈迦入滅の日なのです。
「かなうなら桜の花の下で死にたい。如月の満月の頃、すなわち釈迦入滅の2月15日に」
西行が自分の最期について理想を示した和歌です。
そして、西行は1190年(文治6年)2月16日。73歳で死去。釈迦とは1日違いというところが、また西行らしいというか何というか、といったところですが、希望通りの桜の季節。予告通りの往生は極楽浄土に憧れる人々にとって理想と捉えられたことでしょう。
また、ドラマは、西行の和歌を持ち出すことで、田沼意知の「死亡フラグ」として使っているようです。しかし、西行がこの和歌を詠んだのは60歳以前。死去の10年以上前だったのです。自身の死を予告した和歌ですが、死の予感があったわけではないのです。
西行と花魁が交わした歌
全然関係ありませんが、西行と花魁の関係を示す逸話を一つ。西行の時代は「花魁」という言葉はなく、遊女ですが。
西行は天王寺への参詣の途中、遊女の宿に雨宿りをしようとして断られます。
「世の中を厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」
(現世の執着を捨てることは難しいでしょうが、無常の現世では仮の住まいでしかない家なのに雨宿りに貸すことも惜しむのですか)
対して、遊女・妙(たえ)の返歌。
「家を出づる人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ」
(出家の方なのでお断りしたまで。現世への執着であれ、一時の雨宿りであれ、仮のものなら、そのまま放念なさるのがよろしいと思ったのですが……)
たかが雨宿りに仏教理論まで持ち出した西行に対し、遊女は「あなたこそ現世に執着されているのでは」と痛快に反撃。このやり取りは『新古今和歌集』に掲載され、遊女・妙は勅撰歌人になったのです。
実は、全国を旅した西行が女性や子どもにやり込められるという、いかにも作り話っぽい伝説は各地にあります。







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