【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?⑨
- t-kojima12
- 7月16日
- 読了時間: 4分
2025年7月16日
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
会員 安延 嶺央

大変暑い日が続きますが、会員の皆様はいかがお過ごしでしょうか?夏と言えばお祭りの季節でもありますが、沖縄のお盆の時期にはエイサーという伝統的な踊りが披露されます。
一説には、念仏踊りが起源であるとも言われますが、隊列を組んで太鼓を叩き、足を踏み鳴らして踊る、本土の盆踊りより激しく力強い印象を受ける踊りです。エイサーを踊る際には、「イーヤーサーサー(男性)、ハーイーヤー(女性)」と掛け声を掛けます。
能登の掛け声と海の交易文化
つい先日も報道があったのですが、7月に石川県能登地方で行われる「キリコ祭り」では、男性陣が、「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と掛け声をかけながら練り歩くそうです。
沖縄では男性が「イーヤーサーサー」、能登でも男性が「イヤサカサー」です。語源はいずれも、「弥栄」(ますます栄えるように)でしょう。
ここで、以前お話したように、沖縄の成り立ちは「住民は九州西岸にいた南方系の海の民、文化的源流は坂東武者」であることと、江戸時代以前、日本列島の海の交易は東シナ海、日本海側が主であったことを思い出して下さい。能登半島も沖縄も、東シナ海、日本海の交易ルートの仲間です。前回お話した通り、沖縄には「若狭」という地名もあります。
全国的にお祭りというのは以外と起源が新しかったりするので、直ちに結びつけることは危険ですが、掛け声の部分については、繋がりは確かにあるように思います。「イーヤーサーサー/イヤサカサー」は海の男たちが船を漕いだり、力を合わせて作業したりする時の掛け声だったのではないでしょうか。
星や地名、姓に残る列島の記憶
また、話は変わりますが、夜空に見える星「ヒアデス星団」のことを山形県で「うまのつらぼし」、沖縄県で「うまぬちらー」(いずれも「馬の面」)と呼んだり、秋田県・鹿児島県の喜界島に「西目(ニシメ)」、沖縄県に「西銘(ニシメ)」の地名があったりもします。
これだけでは沖縄県と日本海側の繋がりの話ですが、ここに関東地方が関係してきます。
崎山、長嶺(長峰)、平田などなど、沖縄、日本海側、栃木県北部に共通する姓や地名が複数見られるのです。もちろん伝播された時代の違いにより、沖縄と日本海側のみに共通するものもあるのですが⋯。
栃木県にも共通要素がある場合には、那須地方、大田原市、矢板市、佐野市、小山市、足利市に見られる要素が、沖縄と、日本海側の広範囲に分布しています。足利将軍家と秀郷流藤原氏、那須氏に関係する地域、でしょうか。
問題は、沖縄・日本海側・栃木県のどこがこれらの起源であるかですが、仮に沖縄や日本海側が起源だとすると、栃木県の特定地域に分布するのは不自然であるように思われます。また、ちょうど琉球王国が始まり、列島の交易も盛んになった鎌倉時代・室町時代には坂東武者が列島を掌握していた歴史を考えても、栃木県が起源であると考えるのが自然です。
沖縄から喜界島、天草、長崎、五島列島、壱岐、対馬、出雲、若狭、能登半島から山形、秋田、蝦夷地へと続く列島の交易ルートに坂東武者が深く関わっていたのでしょう。お祭りの掛け声や地名など、徳川家康が開いた幕府によって列島が整備される以前の、日本が国づくりに試行錯誤していた時代に触れるような不思議で興味深いものが、琉球、日本海側の各地、栃木県には息づいているように思います。
筆者プロフィール
安延 嶺央 (やすのぶ れお)
関東で育ち、関西で学び、沖縄に暮らしています。あるきっかけから歴史に関心を持ち、古代から中世の列島の歴史について調べるうちに、琉球王国には坂東武者が深く関わっていることを確信し、坂東武者について調べる中で坂東武士図鑑(※当HP)に巡り合いました。坂東武者と琉球の関係を綴っていきますのでよろしくお願いいたします。
▼ 「note」 でも栃木県と沖縄県をテーマにした記事を掲載中です







コメント