【会員寄稿コラム】藤原秀郷流を訪ねて……《7》「べらぼう」27.28.話 田沼も佐野もここから~
- t-kojima12
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2025年8月9日
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
佐野支部 永島正光

「「意知よこの系図、いかがいたそう?」「父上の思うがまま」…政言「さて、そろそろ御沙汰があってもいいころなのだが…」「覚えがあろう、覚えがあろう、覚えがあろう!!」
大正時代に書かれた「忠孝節義大和櫻」にはなんと佐野政言の祖先はあの「いざ、鎌倉」で有名な謡曲「鉢の木」の佐野源左衛門常世とある(ちょっと怪しいが諸説の一つ?)。常世は佐野基綱の二男景綱(豊綱とも)の孫になります(出居博氏の見解)。基綱には九郎重綱もおりこちらは田沼家始祖、ということは田沼親子と佐野政言の遠祖は兄弟だった(願望と妄想が交錯)。

佐野市田沼町にある西林寺(田沼家菩提寺)と田沼家墓標。田沼家嫡流綱重は1585年須花の戦いで主君佐野宗綱と共に討ち死にし断絶、分家、光房の子孫が意次です。
田沼家館跡の発掘調査の様子。場所は田沼I.Cの北東、今の「こばと幼稚園」隣の公園。
葛生町豊代町にある佐野源左衛門常世の館跡にある由緒書きと鉢木町の願成寺(がんじょうじ)にある常世の墓標。
群馬県高崎市上佐野町にある常世神社と鉢の木物語の絵。祖父景綱は軍功により頼朝から賜ったこの地に住んでいたが常世の時代に一族間の領地争いに破れ故郷の佐野庄に戻った。

佐野市田沼町にある一瓶塚稲荷神社。1186年佐野成俊が勧請し、「世直し大明神」佐野政言が田沼大明神と改名されて憤慨したと言う別名佐野大明神?。
因みにべらぼうにも登場した長谷川平蔵宣以(のぶため)、そうあの吉右衛門鬼平です。この長谷川氏も秀郷流下河辺氏の末裔
もう一つ、この田沼騒動の83年前、そう「忠臣蔵」でお馴染みの大石内蔵助良雄。この大石氏も秀郷流近江小山氏の末裔。本家下野小山氏と同じ凛々しい「二つ巴」マツケン内蔵助の家紋を見て下さい。
こんな黄表紙本(今でいう風刺漫画)も出ました。田沼将門、政言秀郷、俵印の提灯…
『将門秀郷/時代世話二挺鼓』(東京都立中央図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100077037
最後に素晴らしい演出「意知と誰袖」

数年後田沼意次失脚,一橋治済(はるさだ)と共にこの騒動の黒幕と囁かれる松平定信が老中となり「寛政の改革」を行いますが…
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼恋しき」こんな狂歌が流行ったとか
田沼意次の功罪、「罪」が主流だった通説から「功」が見直されている近頃、勝者の造った歴史はいずれ色あせるということでしょうか。
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