【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?⑬
- t-kojima12
- 8月22日
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2025年8月22日
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
会員 安延 嶺央

二つの王統の始まり
14世紀に始まった2つの琉球の王統と王名を下記に書いてみます。
●南山王統(1337〜1429年)
承察度(1337-1388)
汪英紫(1388-1402)
汪応祖(1403-1413)
達勃期(1413-1414)
他魯毎(1415-1429)
●察度王統(1350〜1405年)
察度(1350-1395)
武寧(1396-1405)
南山王統は前期は現在の南城市、後期は現在の糸満市を本拠地とし、察度王統は現在の浦添市にありました。つまり、察度王統が成立した1350年以降は沖縄本島内でこの2つの王統は併存していました。他にも同時代に北山王統もあったのですが、今回はこの2つの王統について考えてみたいと思います。
王名の共通点と繋がりの推測
まず、いずれも初代王名に「察度」の文字が入っていることが一見してわかります。また、察度王は、争いにより1394年に李氏朝鮮に逃亡した承察度の送還を求めています。同名の上に、亡命した際に送還を求めるということは、何らかの繋がりがあるのでしょう。例えば同一の氏族でありながら何かの理由で対立関係になってしまったのでしょうか?
本州の動乱と琉球の動き
ここで、同時期の本州の歴史を見てみます。
六波羅探題陥落後の1333年6月、後醍醐天皇が伯耆国の舟上山から京に戻り、「建武の新政」が開始されます。同時期、足利尊氏は鎮守府将軍に任命され、建武政権の中で力をつけていきますが、次第に後醍醐天皇との関係が悪化していきます。1335年には建武政権を揺るがす北条時行の反乱である「中先代の乱」が起き、鎌倉が陥落します。
その時、足利尊氏は弟の直義救援のための出陣のため、征夷大将軍や惣追捕使への就任を後醍醐天皇に願い出ますが、足利氏の力が強くなりすぎることを警戒され、却下されます。そこでやむを得ず後醍醐天皇の許可を得ることなく出陣し、鎌倉を奪還し、配下の武士たちに恩賞を与え始めてしまいます。
つまり、足利尊氏、直義兄弟が力をつけ、後醍醐天皇の建武政権のコントロールが効かない存在となっていくわけです。その中で、足利尊氏、直義兄弟は配下の武士たちに利益供与を行い、同時期に琉球では南山王統が成立しているのです。
1337年からは南北朝時代となりますが、室町幕府は、初期は足利尊氏・直義兄弟の二頭体制でうまく行っていました。将軍の権威は兄の尊氏、実務は弟の直義だったとも言われます。しかし、やがて兄弟の間に亀裂が入り、1350年には観応の擾乱と呼ばれる争いが起きてしまいます。足利直義は尊氏の息子の直冬を養子にしていましたが、この親子は一時南朝方に帰順したりもしています。建武政権で後醍醐天皇と足利氏の関係が悪化したとき、より後醍醐天皇に対立的だったのは足利直義なので、これは言わば、「禁じ手」です。過去の対立を乗り越えて南朝の後ろ盾を得るためには、相当な金銭・経済的な供与も必要だったことでしょう。
全く同時期に琉球では、察度王統が開始されています。また、察度王統の墓所は不明であるとされていますが、一説には英祖王統の墓所である「浦添ようどれ」が時代的な前後関係から察度王統のものでないかとも言われています。
足利政権と琉球の王統
足利直義は1352年、高師直の死のちょうど1年後に、おそらく兄尊氏の意向により死に追いやられていますが、観応の擾乱以前から九州で力をつけていた足利直冬はその後10年ほど幕府に抵抗しており、その時の足利直冬派には、少弐氏、日向伊東氏、宗氏などなどがいました。
琉球の南山王統・察度王統の開始時期と、本土での足利氏の経緯が見事に一致しています。1337年開始の南山王統は足利尊氏・直義兄弟による二頭体制が順調だった頃に、直義主導で始まった足利政権の南方交易利権、足利兄弟決裂後の1350年から始まった察度王統は、足利直義・直冬による南朝方への利益供与なのではないでしょうか。
そうだとすると、冒頭で述べたように、琉球の2つの王統の初代王名にいずれも「察度」の文字が入っていることや、察度王統の察度王が南山王承察度の送還を李氏朝鮮に求めたこと矛盾なく説明できますし、琉球で察度王統が墓所不明であったり、他の王統と扱いにやや差があるのは、南朝方だったからだとも考えられるように思います。
次回は足利兄弟のことと、それに関連しているように思われる琉球の文化や歴史のことについて、より具体的に書いていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
筆者プロフィール
安延 嶺央 (やすのぶ れお)
関東で育ち、関西で学び、沖縄に暮らしています。あるきっかけから歴史に関心を持ち、古代から中世の列島の歴史について調べるうちに、琉球王国には坂東武者が深く関わっていることを確信し、坂東武者について調べる中で坂東武士図鑑(※当HP)に巡り合いました。坂東武者と琉球の関係を綴っていきますのでよろしくお願いいたします。
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