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【水野先生コラム】『おじ散歩』レポート

  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

2026年2月7日

栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会

顧問 水野拓昌



2月7日の土曜日、栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会の宮本さん、岡田さんとともに栃木市の皆川城跡、金剛寺に行ってきましたよ。3月28日予定の交流会の下見です。


栃木市中心部の少し西側にある皆川城跡は、藤原秀郷の子孫・皆川氏の居城です。戦国時代の山城の跡で、標高147メートルで、それほど高くなくて、下から山頂の展望台が見えるので、すぐ登れそうな感じもします。法螺貝城とも呼ばれたように、螺旋状でくるくると登っていくので、急斜面はあまりありません。その分、距離はあって、かなり登ってきたはずなのに、まだ着かないのかなぁ、と思いもします。


実は過去にも数回登ったことがありますが、年齢を重ね、勾配が急だと思う箇所がありますね。今は梅や蠟梅が少し咲いている程度ですが、3月末だと、桜がかなり咲いているはずです。ふもとは公民館があり、駐車場があり、広場があります。山頂までだいたい20分。途中休憩を取りながらゆっくり登って30~40分程度だと思いますよ。山頂からの見晴らしは素晴らしいですよ。


山城跡ですが、石垣とかがあるわけではないですし、当時の建物も何ら残っていません。周囲はよく見えますので、敵が攻めてくる動きは手に取るように分かるし、支城からの狼煙の合図もよく見えたはずですね。




さて、城跡を降りた後は、皆川氏歴代の墓も見てもらいたくて、金剛寺に向かいました。車ですぐ、歩いても5分くらいの距離です。住職の案内で本堂も見せてもらいましたよ。この日は法事があるとのことで、本堂の見学は予定していなかったのですが、たまたま、「まだ時間がある」とのことで、住職のご厚意で少しの時間ですが、見せてもらいました。

本堂には皆川広照の肖像画、南蛮胴具足(鎧)などの寺宝が展示されていますよ。見られるのです。実際に。いろいろありますが、注目は貴重な『山上宗二記』の写しですかね。


山上宗二(やまのうえ・そうじ)は千利休の弟子で、利休の茶道、当時の茶道を研究する上で大変貴重な歴史的史料です。皆川広照は山上宗二にこの書を贈られたのです。

山上宗二は利休(千宗易)の弟子ですから、元々、豊臣秀吉に使える茶人でしたが、1584年(天正12)に秀吉の怒りを買って、追放されてしまいます。その後、いろいろあって小田原へ行き、北条氏政に仕えるわけですが、1590年(天正18)、小田原城は秀吉の大軍に包囲されてしまいます。この時、皆川広照は北条氏配下の武将として小田原城の守備についていましたが、1580年4月8日、家臣100騎とともに小田原城を脱出。単身で敵のもとに飛び込んで降伏する大胆な行動で北条氏から離れました。


山上宗二はこの時、皆川広照に同行して小田原城を脱出したのです。千利休の仲介もあって、4月10日、豊臣秀吉との再会を果たします。ここで再び秀吉を怒らせたようで、耳と鼻をそがれた上で打ち首という、とんでもない方法で処刑されました。

『山上宗二記』は秀吉や利休の悲劇的な最期など、さまざまな歴史ロマンを感じさせる史料です。とにかく貴重です。3月の交流会も、乞うご期待ですね。



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