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【会員活動報告】藤原秀郷流を訪ねて《11》

  • 6月1日
  • 読了時間: 3分

2026年5月18日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光




新緑の向羽黒山城と信夫佐藤氏


北関東山城会、福島会津オフ会メインは向羽黒山城。

実は私四度目、しかしデカ過ぎて未だによくわからない。

今回も凄腕ガイドさん?あっ、昨年と同じ人だ。

のぼり旗には「最大……級」とあるが……「最大と言い切るとクレームが来る恐れがありそうで…」とガイドさんは苦笑い。

続いてガイドさんは挨拶の中で、更新されない通説にチクリチクリと苦言を呈し、最新情報+持論を展開する。気合い十分、素晴らしい。




例によって総勢14人、最初は遠足並にぞろぞろと進むが……間もく、そう、放し飼いの如くはじけて、収拾がつかなくなる。いつものことなのてすが…。


こちらウンチク組みの仲良し三人、私と、なんでなんでのYちゃん、裏付け理論派のAさん。

この城は1561年(永禄4)蘆名盛氏創建と言われていますが……。

Y「なんで、堀も土塁も何本も作り、しかも丁字にぶつかり、迷路みたい」

A「あのね、盛氏君は心配性なんだよ」

Y「土塁の片側にだけ土留めの石垣、これどう言う意味?」

A「心配性、堀をほったらその土を積んで土塁に、崩れないかな?そうだ、同時に石を積め…と」

Y「ここ、こんな大きい竪堀三本もいる?」

A「心配なんだよ盛氏君はよ」

Y「でも、三本目は上杉がつくったんじゃないの?」

A「上杉景勝もこの城を重要視してたから……あれ、もう2本もある、俺も何か作らなきゃ、三本目?…実際は暇だった?」

こんな感じのやり取りで、勝手なリア攻め、しかし要所要所のガイドさんのレクチャーはさすがでした。






さて、大きなトラブルもなく?向羽黒山城攻略は終了、昼食会場、ホームキッチン「藤原屋」へ。

田んぼ道を走り抜けた先あった自宅兼店舗、家庭的なお店で15人貸し切り、地産地消の食材で思い入れ手作りのメニュー。見慣れない副菜にもお目にかかり大満足の1時間。

「ご馳走様でした」とそれぞれ参加者は帰路へ。




しかし、しかし、私はず〜っと気になっていた……

「藤原屋」の屋号、見覚えのある家紋「源氏車」?そして極めつけは表札が「佐藤」これは……

たまらず、1人戻って奥さんにたずねてみる

「スミマセン、あの表札をみまして、佐藤さんですよね。お店の名前を「藤原屋」としたのには何か理由があるんでしょうか、もしかしたら苗字の佐藤との関係でしょうか?」

「えっ!、はい実は………」と奥さんは嬉しそうに25分も熱弁してくださいました。


福島県飯坂にある医王寺、ここが、信夫佐藤家(しのぶさとうけ)の菩提寺。

先祖はあの源義経に最後まで付き添い討ち死にした佐藤継信、忠信兄弟の兄継信と言う。

そして、数々のエピソード、伝承を楽しそうに、思いっきり感情移入し話す姿は凄く輝いて見えました。正しく藤原秀郷流です、以外な出会いに私もびっくりやら嬉しいやら……

「ありがとうございました、私、藤原秀郷の地元の佐野市からまいりました。

これも、なんかの縁でしょうか、ありがとうございました。」


3時間の帰路はなんとなくウキウキ、清々しいドライブとなりました。


向羽黒山城ホームページ






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