【会員活動報告】藤原秀郷流を訪ねて《13》「船越六郎と二つの神社」
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2026年7月5日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光
船越六郎と二つの神社

先日、「藤原秀郷をヒーローにする会」宇都宮での会合に途中参加、「藤原秀郷を是非大河ドラマに」と盛り上がり「では、主役の秀郷は誰にしましょうか?」。すると会員の舩越さんから「2時間ドラマの帝王、船越英一郎でしょう、本人も秀郷の子孫だと自負していますから」。実は、会員のこの舩越さんも秀郷の子孫と自負している一人です、なるほど。 周囲の人からは「荘厳な昭和の大河ドラマならありかもしれませんが、今の大河ドラマはコメディ色あり、加えて史実を越えたフィクションも多い。若い人向けの役者陣ですからね」と切り返し、大河ドラマ談義の尽きない楽しい時間でした。
10年以上前にNHKの「ファミリーヒストリー」と言う番組で船越英一郎さんが出演、
先祖が藤原秀郷で旧田沼町船越町(現在の佐野市)住んでいたと話していたことを思い出し調べてみると、英一郎氏は船越家34代目(本家か分家は不明)になるとの記事を発見、俄然やる気モードに突入。
船越家ってどんな家?
藤原北家秀郷流佐野家庶流
佐野家4代当主成綱(しげつな、秀郷からは16代)の子増綱がここ船越地区に館を構え治めたことから、船越六郎増綱と名乗り船越家初代となる。六郎とあるので六男だったのでしょうか、また系図(田原族譜)をみると、六郎とは船越家当主の通称で代々引き継がれているようです。

田沼町史二巻(資料編)に見る船越氏の記述
初代増綱の記述、1271年(文永8)、1272年(文永9)の二通。いずれも土地の譲与、相続に関する文書。
1573年(天正元)「佐野家中・居城・郷見の改帳」 船越六太夫
1580年(天正8)「佐野武者記」 野州冨士村居住 御一族
船越但馬守景高 船越美濃守景宗。船越家家臣 上泉外記、金子刑部、古沢兵部、長橋久助。
1601年(慶長6)「佐野家中改帳」 船越対馬
少ない資料ですが船越家は佐野家親族で家臣団の中でも重臣クラスだったと思われます。

と言う訳で、ここは佐野市船越町にある上宮神社(じょうぐうじんじゃ)。ここに船越家のお墓があるとは聞いていましたが、訪れたのは初めてです。近所の小林さんにお願いして案内していただきました。「ここには船越英一郎の祖父までの歴代の墓標があります、明治時代になるまでは神主だったようで、裏の方には館跡も残っています。英一郎さんも一度、奥さんとお見えになりました。」


上宮神社ってどんな神社?
佐野市船越町675
941年(天慶4)藤原秀郷創建
1693年(元禄6)再建
1917年(大正6)再建、正遷座式
祭神 橘豊日命(たちばなのとよひのみこと、用明天皇)、豊聡耳命(とよとみみのみこと、聖徳太子)実はこの二人、親子です。江戸時代まで蓮乗院聖徳寺と言う別当寺があった。因みにこの辺りの小字名は今でも「太子堂」と言われている。
*別当寺┉江戸時代以前に神社を管理、運営するために置かれた寺(総称神宮寺)、その管理者が別当
墓所を見ると、幕末には神官であったと言われているように、近年の墓石は三つあり戒名は神式、そして誇らしく三十代、三十一代、三十二代と。宝篋印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔の様な石塔もあり中世以前の作品の可能性もありそうです。特に右奥の大きな石塔、文字は解読できませんがかなりの年数を感じました。

[墓石より作成]
1増綱┉┉30豊━━31栄━━32栄一━━33栄二郎(英二)━34栄一郎(英一郎)
1829~1911(82) 1891~1981(90) 1923~2007(84) 1965~
鎌倉時代初期、初代増綱以降船越家は代々この船越の地を治めてきましたが、江戸時代に佐野氏が改易になってしまいます。以降家臣たちはやむなく他家に仕官、帰農などを余儀なくされたようです。引き続き現地に残り神官としてお家を存続させた一族に船越家があったのでしょう。

さてここからが今回の本題、私の妄想ロマンタイム。
この上宮神社の1km北に三騎神社(さんきじんじゃ)があります。この神社も942年(天慶5)藤原秀郷創建、そして1590年(天正18)船越六郎(諱は不明、六郎から当時の船越家当主)再建と伝わります。
*諱(いみな)┉実名


この三騎神社、明治時代以前にあったであろう別当寺(常流山神宮寺)の別当職は私の先祖が代々務めてきました。明治時代になり寺は廃され新しく社掌という役職をいただき近隣の小さな神社(旧社格の村社以下)を含め複数管理していたようです。
上宮神社の船越家はどうでしょう?当時の別当職はおそらく豊氏か栄氏、明治になり何らかの事情で社掌にはならなかったようです。
と言う事は江戸時代末期、上宮神社別当の船越豊氏(もしくは栄氏)と三騎神社別当の神宮次一(じんぐうじはじめ、私の5代前)は同職、同地域(1㎞圏内)、同年代。きっと何らかの接触、親交があったと思うのが自然です。どんな会話をしていたのか?想像するだけでわくわくしてきます。これも何かの縁なのでしょうか。

今は殆どお墓を尋ねて来ることもないそうですが、墓所の管理は神社近くの○○さんがご厚意でしているとのこと、英一郎さんは墓参に来た時に面会し感謝とお礼を伝えたそうです。
船越家の宗家の居館は「室の沢」地区(上宮神社から南に1㎞)にあったと言われているので英一郎氏の家は分家かもしれません。
船越家系図(田原族譜)には初代増綱以降12代まで記述はありますが「船越英一郎」氏の5代前の「豊」氏への繋がりは不明です。但し一説には英一郎氏がこちらに来た際、系図を持参し唐沢山神社に寄贈したと言われています。いつか公開される日が来ると思いますが┉
船越家を含めてさほど広くない墓地も手入れされているのは半分、神社もしかり。最後に石垣が残っている草の生い茂った館跡を眺めて、お墓も神社もどうなるんだろう┉
何だかちょっと寂しい思いが残るお墓参りとなりました。
参考資料
田沼町史第一巻民族編
同 第二巻資料編
旧三好地区旧跡見聞録 金原元助
下野神社沿革誌 風山広雄
鹿沼聞書・下野神名帳
「船越英一郎ファミリーヒストリー」 ライブドア



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