検索

安達盛長 あだちもりなが


番外編File No. 02 【安達盛長】 あだちもりなが

adachi-morinaga

源頼朝と北条政子の間を取り持った武将。

源頼朝の信頼厚く、長く幕府を支えた。


【時代】平安時代末期〜鎌倉時代初期 【生誕】保延元年1135年 【死没】正治2年1200年 【墓所】愛知県蒲郡市 長泉寺 【別名】藤九郎

【改名】(出家後)蓮西(れんさい) 【官位】右衛門尉 【幕府】鎌倉幕府

    十三人の合議制の宿老の一人

    上野奉行人 三河守護 【主君】源頼朝 頼家 【氏族】藤原北家魚名流安達氏

【父】藤原(小野田三郎)兼広

【兄弟】藤原遠兼(足立遠元の父)

【子】景盛 時長 源範頼室



■安達盛長の生い立ち


父は藤原北家魚名流の藤原兼広。

兄は藤原遠兼。その子が足立遠元(次回番外編No.03で登場)。

足立遠元は年上だが、足立盛長の甥にあたる。

名前の「安達」は、当初兄・藤原遠兼の所領である武蔵国足立郡(現在の東京都足立区は足立氏に由来する)にちなんで足立氏としていたが、晩年になり本貫地である陸奥国安達郡(現・福島県安達郡)にちなみ「安達」の名を称した。



■安達盛長と源頼朝の関係

比企能員と源頼朝の乳母である比企尼の長女で源頼朝の側室だったともいわれる丹後内侍を妻とした縁により、伊豆配流時代からから長く源頼朝を支えた。 頼朝と北条政子の間を取り持ったのは盛長といわれている。(曽我物語) 源頼朝の幕政の良き理解者で、多くの面での相談相手のような立場であり、生涯官職には就かなかったという。

盛長の屋敷は、鎌倉の長谷に現在もある甘縄神明神社の辺りといわれ、神社境内にはその石碑もある。『吾妻鏡』によると、盛長の屋敷には頼朝も頻繁に訪問し、苦労時代を共に過ごした最も親しみのある御家人であったことが想像できる。


■源頼朝の死後

正治元年(1199年)1月の頼朝の死後、出家して蓮西(れんさい)と名乗る。 同年4月、二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり、幕政に参画。同年に三河国の守護となる。 正治2年(1200年)4月26日(1200年6月9日)に死去。 享年66。鎌倉幕府と共に生きた生涯であった。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。



安達盛長 関連ページ ]

■ 藤原秀郷とは ■ 「鎌倉殿の13人」と藤原北家の意外な関係

■ 坂東武士とは

■ 藤原氏カンタン年表

■ 栃木県 藤原氏族マップ


[関係する人物]

■源頼朝

安達盛長


[ 藤原秀郷をヒーローにする会 関連ページ ]

■ 会員募集

■ ヒーローにする会SDGs

■ ラジオ放送記録




▼ 坂東武士図鑑キャラクター 一覧はこちらから






■ カテゴリー別

■ 最新記事

1/20

関連ページ

  • Facebook
  • Twitter
  • YouTube
  • Instagram
栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会
​一般社団法人 武将伝説

〒320-0057 栃木県宇都宮市中戸祭1-4-5

☎︎ 028-622-5156(株式会社みやもと) 

みやもと_ロゴ_アートボード 1.png

COPYRIGHT 2000-2020 MIYAMOTO CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.