【活動報告】佐野支部フィールドワーク-2024年12月5日開催
栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会
佐野支部 長島正光
10月5日に開催した
「佐野支部主催『 第11回歴史さんぽ 佐野編』に参加できなかった佐野支部の仲間達のリクエストに応え、さらにバージョンアップしての二回目はたっぷり一日。
小回りの利く総勢5人、秀郷子孫の面影を探してあちらこちらへ、ああでもないこうでもない、わいわいがやがや。おやつも持参し、気分は遠足です。
前回のリポートはこちら▼
佐野支部主催 第11回歴史さんぽ 佐野編『平安末期秀郷流足利氏の名残りと秀郷人形劇鑑賞』-2024年10月5日開催
【今回の行程】
8時30分道の駅「ど真ん中田沼」北側駐車場
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8時45分戸室「お目洗井戸」
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9時 鞍掛神社
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10時 三騎神社
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11時 佐野ラーメン「押山」
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13時 「報恩寺」(天徳寺宝衍墓塔)
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13時30分 「御所の入り」(岩崎義基の五輪の塔)
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14時10分 「正光寺」(佐野宗綱と家臣の墓)
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15時 「安楽寺」
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16時 解散
左:鞍掛神社 右:三騎神社
報恩寺(天徳寺宝衍墓塔)
戦国末期、小田原北条氏の攻勢の前に風前の灯火?の佐野家を見事に再興させた天徳寺宝衍(佐野房綱)。
宝衍の母親は赤見氏の娘、天正20年(1592年)最初隠居地は赤見城です。母の菩提を弔ったと伝わるこの報恩寺、そして自分の亡き骸もここに葬るよう遺言しています。きっと大好きで大切な母上様だったんだですね。
御所の入り(岩崎義基の五輪の塔)
ヘリポートのある蕎麦屋で有名な佐野市「御所の入り」、その奥の小高い丘の上には小さい八幡宮を挟んで五輪の塔が二つ。そう清水冠者岩崎義基(木曾義仲の長男、木曾義高)とその奥方(佐野基綱娘)の墓塔と伝わっています。
正光寺(佐野宗綱と家臣の墓)
天正13年(1585年)須花の戦い、若干25歳で無念の最後を遂げた16代当主佐野宗綱とその家臣達の墓標。北西に見えるのは先祖佐野国綱が創建しも、宿敵長尾顕長に奪われてしまった須花城跡、そしてその向こうは最後の地、須花峠。勿論墓標はそちらに背を向けていますが、宗綱はあの世で無念万感、歯ぎしりをしているのではと。
ここ佐野市岩崎、山形地区には彼の生存伝説とその子孫と言われる人達の歴史や生き様が脈々とと受け継がれています。そんな面影に少し触れた5人、思い思い妄想めぐらし最後まで盛り上がりっぱなしの一日でしたが、
続きが、12月8日にも続きます!
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