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北条氏康 ほうじょううじやす  

最終更新: 1月15日


File No. 44

【北条氏康】

ほうじょううじやす

ujiyasu-houjou


本人が出陣した戦いは負けたことがない。


【生年】永正12年1515年

【没年】元亀2年1571年

【氏族・血族】伊勢北条氏(桓武平氏)

【所領】相模国小田原

【墓地】神奈川県箱根町、早雲寺

【通称】相模の獅子


■後北条氏の三代目

武勇だけではなく、内政に手腕を発揮した後北条氏の三代目。


戦国時代の幕開けに名を馳せた北条早雲の孫。

後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第四代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。


■武勇について

生涯36度の合戦では一度も敵に背を見せたことがなく、顔面には2つの傷が、身体には7つの刀傷があったといわれ、うけた傷はすべて身体の前面につく「向こう傷」だったといわれており、「氏康の向疵」と呼ばれている。これは戦場で常に先陣をきり、敵に背を向けず正面から立ち向かったことを示すもので、諸将はこの向こう傷を「氏康傷」「氏郷の向傷」と呼び、その武勇を称えたということである。


猛将と名高い氏康だが、『北条五代記』によれば、12歳の頃に武術の調練を見て気絶したことがあり、その時氏康は、家臣の前で恥を晒したということで自害しようとした。

しかし家老が「初めて見るものに驚くのは当然で恥ではない、むしろあらかじめの心構えが大切なのだ」と忠言したため、以降の氏康は常にしっかりと心構えをし、堂々とした態度をとったということである。


■活躍について

享禄3年(1530年)小沢原の戦いで初陣。大勝を収めた。

天文7年(1538年)の第一次国府台の戦いでは、父と共に敵の総大将を討つなど活躍。

天文10年(1541年)父の氏綱が死去すると、家督を継承して後北条氏第三代当主となる。

天文14年(1545年)今川義元が、父・氏綱に奪われた東駿河を奪還すべく挙兵。

加えて、義元と組んでいた山内上杉家の関東管領・上杉憲政や扇谷上杉家の上杉朝定らが、義弟・北条綱成が守る河越城を包囲。

東西からの挟み撃ちに陥った氏康は、武田信玄の斡旋により義元と和睦し、東駿河の河東地域を割譲することとなる。


「日本三大奇襲戦」

また関東では、両上杉氏に加えて氏康の義兄弟だった古河公方・足利晴氏も敵方にまわり、河越城の包囲に加わる。約8万人の連合軍に包囲された河越城は半年ほど籠城戦に耐えたが圧倒的に不利な状況だった。


そこで氏康は、河越城の返上と降伏を申し出て油断させると、綱成と連携して夜襲をかけた。連合軍は混乱のうちに敗走し、勝利した氏康は、ようやく関東の主導権を確保する。

この河越夜戦は、桶狭間の戦い、厳島合戦と並んで「日本三大奇襲戦」の一つといわれる。

このとき敗走した上杉憲政は、北条征伐を条件として関東管領職と上杉姓を越後・長尾景虎に譲渡。景虎は上杉謙信と名乗り、関東に侵攻。その後氏康は、武田家や今川家と同盟を結び、謙信と戦い続けることとなる。


永禄2年(1559年)氏康は嫡子・氏政に家督を譲り隠居するが、その後も小田原城に残り、氏政を後見しながら政治や軍事の実権を握り続ける。

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、信玄の駿河侵攻が始まり、またその4年後には、上総国などの支配をめぐり里見義堯(よしたか)・義弘父子と対立するなど、隠居後も数々の戦いに身を投じたが、元亀元年(1570年)の夏頃から半身不随や言語障害と思われる症状になり、最期は小田原城で死没した。


■内政での活躍

氏康は、戦いだけではなく内政でも大きな結果を残した。

・豊臣秀吉に先駆けて領内の検地を実施し、家臣及び領民の税負担を明確にした。

・北条氏所領役帳と呼ばれる家臣の基本台帳を作成し、有事の動員兵力などの負担を確定した。

・不定期の税収を撤廃し、四公六民の税率で領国を経営した。(他国は最低でも五割負担)

・徳川吉宗に先駆けて目安箱を設置した。

・貨幣制度を整備し、戦国時代初の貨幣の統一を行った。

・官僚制度をつくり、民主主義的な評定制度をつくりあげた。

・当時は手書きが主流だった公文書に、手書きの花押ではなく、虎の朱印を用いた。

・町を発展させるために、全国から職人や文化人を呼び寄せて大規模な都市開発を行った。

・町の清掃にも気を遣い、清潔な城下町は、東国最大の都市といわれるほどになった。


北条氏康の政治手腕は称賛され、のちに関東に入った徳川家康はこれを踏襲し15代に及ぶ徳川治世の基にしたといわれている。

関東の覇者として君臨した氏康が、後世に与えた影響は相当大きいといえるだろう。



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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