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岩崎義基 いわさきよしたか 

最終更新: 9月10日


File No.27

【岩崎義基】いわさきよしたか yoshitaka-iwasaki


不思議でミステリアスな存在の若武者。

Iwasaki Yoshitaka is a young “SAMURAI” of strange and mysterious existence.


生年=不詳 (伝承によれば)平安末期 1100年代末頃

氏族・血族=(伝承によれば)木曽(源)義仲の嫡子

別称=志水(しみず)(清水)冠者(かんじゃ)義高。

在所=下野国佐野岩崎


武士が生まれて以来、各時代・各地域で、伝説の・伝承の・・・と言われる武士は数多い。

ほとんどが「悲劇の・・・」という前書きがつくが、日本人らしい敗者や弱者を優しくみつめる心情が生んだ伝説なのかもしれない。


岩崎義基(いわさきよしたか)もそんな一人である。

源義仲(木曽義仲)に義高という嫡男がいて、時の鎌倉幕府の将軍・源頼朝の長女・大姫と婚約していた。

義仲は、平氏打倒に立ち上がり入京したが、京での配下の軍の無統制ぶりが仇となり、結局は頼朝と敵対してしまう。

義高は、その時に在住していた頼朝の館を脱出したが、入間河原(埼玉県入間市)で頼朝軍の追手に討たれた。

許婚を殺された大姫の悲恋の物語だが、一説によると、逃げて来た義高を佐野基綱が匿い、

岩崎義基(いわさきよしたか)と名を改めさせたという。


義高=義基、共に「よしたか」と読ませるところがポイントである。

この説、信憑性は薄いかもしれないが大変面白い。

危険人物を匿うとは、佐野基綱は鎌倉御家人としては大胆で無防備すぎる。


佐野市西部を拠点にした岩崎氏に関しての一説に、地域の古文書に「木曽ノ直伝」とあるということなので、木曽の流れを引く一派がいた可能性もあるといわれている。


佐野市吉水の興聖寺城は、佐野国綱が岩崎義基のために築いたといわれている。

佐野市岩崎の岩崎城は佐野義基の築城といわれる。

佐野市山形町の御所之入と呼ばれる地域に義基と妻の供養塔とされる2基の五輪塔がある。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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