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佐野基綱 さの もとつな

最終更新: 1月8日


File No.23

【佐野基綱】

さのもとつな


鎌倉幕府を支えた下野佐野氏の初代当主。


【別名】佐野太郎

【本姓】足利基綱

【生年】不明

【没年】暦仁元年 (?〜1238)

【氏族・血族】藤姓足利氏 佐野氏

【在所】下野国安蘇郡佐野庄

【父】足利有綱(藤姓足利)


平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。

藤原秀郷の末裔で、藤姓足利氏一門・足利有綱の子として誕生。

通称は佐野太郎。または足利基綱とも呼ばれる。



■ 出来事

本宗家である伯父・俊綱とその子・忠綱が、平家方の傘下として常陸国の志田義広(頼朝の叔父)に就き勢力を得る。

それを受けて、寿永2年(1183年)、

頼朝の厳命を受けた足利義兼らが渡良瀬川に陣営取り、

基綱は親族の小山朝政と結び、

志田義広の軍勢と野木宮で戦いこれを撃破し、本宗家の足利俊綱と子の忠綱を敗走させた(野木宮合戦)。


分家である基綱は、父・有綱と共に早くから源氏に味方し、

源頼朝の元で鎌倉幕府御家人の地位を得た。

それ以降、基綱は鎌倉幕府の御家人として勢力を拡大維持した。


承久3年(1222年)承久の乱に参戦し、その戦功で淡路国に所領を得たという。



■ 鎧兜「避来矢」の伝説


佐野氏には、「避来矢」という藤原秀郷ゆかりの鎧(よろい)兜(かぶと)伝説が残っている。

「避来矢」は、飛んでくる矢が当たらないといわれ、源平合戦前は「真経腹巻之具足」と呼ばれていた。

また「避来矢」は、源平合戦で足利忠綱の逸話にも登場する。


藤姓足利氏没落後は、佐野氏が伝承してきた。

江戸時代の火災で鎧の一部だけが焼け残ったが、佐野氏は大切に保管し続け、国指定重要文化財に指定されている。

金具だけになった武具をあがめた佐野氏は、秀郷の子孫であることを強く意識していたようだ。



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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