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熊谷直実 くまがいなおざね

最終更新: 9月10日


File No.12 

【熊谷直実】くまがいなおざね 

naozane-kumagai

桓武平氏直系の武将。戦での功績をもって一大武将に名乗りをあげた関東武士の雄。

Offsprings of TAIRA family. The Kanto area warrior promoted to an important general by achievement of competition.


別名:(通称)熊谷次郎直実

   (出家後)蓮生(れんしょう・れんせい)

生年=永治元年  

没年=建永2年 (1141〜1207)

氏族・血族=桓武平氏 熊谷氏

主君=源頼朝

所領=武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)


熊谷氏は、桓武平氏直系の平貞盛の孫・維時(これとき)の六代の孫と伝えられている。

父直貞の時代から武蔵国大里郡熊谷郷の領主となり、それ以降熊谷を名乗った。

京都で平知盛に仕え、源頼朝の挙兵では平家軍の一員として戦ったが、その後、源頼朝の配下に入る。数々の戦で功績をあげ、一騎当千の強者と称された。


源平「一の谷の合戦」で、17歳の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取ったが、

自らの息子と同じくらいの若武者の首を取らねばならないという、現実の葛藤を強く感じる戦であり、あまりの痛ましさに無常を感じ、直実は武士としての生き方に疑問を抱くようになり、のちに出家して法然の門徒となり蓮生と称した。


『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の物語の主人公として、能の演目『敦盛』や幸若舞の演曲『敦盛』といった演目で現代に受け継がれている。


その中に有名な

 人間五十年  下天の内をくらぶれば  夢幻のごとくなり

 一度生を得て  滅せぬ者のあるべきか

の一節が登場する。

この一節が特別に有名なのは、

織田信長が好んで謡い舞ったことが大きく、『信長公記』にも桶狭間の戦い直前に舞ったという記録がある。


「人間五十年」とは人間の寿命が50歳だということではなく、「下天(仏教における天界のひとつ)」と合わせて、「天人の時間の流れと比べれば、人の世の50年(一生)なんて一睡の夢程度でしかない」という意味と思われる。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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