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佐藤義清 さとう のりきよ

最終更新: 1月8日


File No.9 

【佐藤義清】

さとうのりきよ 

sato-norikiyo


武勇優れた武士だったが、出家し歌人として多くの和歌を残す。

First he was a warrior samurai. He became a priest after that, and it was a priest. And much poetry was left.


【別名Another name】

西行(法師) saigyou

【生年】元永元年  

【没年】文治6年(1118〜1190)

【氏族・血族】藤原北家秀郷流 藤原秀郷の9世の孫

【父】佐藤康清

【母】源清経の娘


■佐藤義清の概要

若くして武勇人格に優れ、保延元年(1135年)18歳で左兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられ、また保延3年(1137年)には鳥羽院の北面武士としても奉仕する。

和歌と故実に通じた武士として知られたが、保延6年に出家。


逸話が多く出家の理由としても、武士としての考え方や人間関係、女性問題など様々な訳が伝わる。


■出家後(西行と名乗る)

出家後は心の赴くまま、各所に庵を営み、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を詠んだ。

有名な句としては、


願わくば 花の下にて 春しなん そのむらさきの 望月のころ

(山家集)


生涯で詠んだ和歌は2300首といわれる。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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