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平貞盛 たいらのさだもり

最終更新: 9月10日


生年不明~989年頃


File No.3 【平貞盛】 たいらのさだもり

別名=平将軍

生年=不明(920年頃?)  

没年=989年頃  詳細不明

氏族・血族=桓武平氏国香流(第50世桓武天皇五世の孫)

母は、藤原氏直系の藤原村雄の娘。

在位・官位=鎮守府将軍 常陸大掾 従四位下


平氏の姓を授けられた高望王の長男平国香(たいらのくにか)の直系という恵まれた環境で育った。藤原秀郷は母方の叔父にあたり、平将門は同系の従兄弟にあたる。

桓武天皇→葛原親王→高望王(平氏始祖)→平国香→平貞盛


貴族的な優美さと若武者の豪胆で勇壮な面を併せ持っていたと言われる。


従兄弟の平将門と母方の親族たちとの抗争が勃発し、父の国香がそれに巻き込まれて亡くなる事件が起こった。貞盛は、そもそもこの事件は、叔父たち非があり将門側に非はなく、「互いに親睦するが最も良い」と、この時点では将門と対立はしなかった。しかし、後に叔父良兼に言われ、一族として将門を攻める時に、これに加って将門と対立することになってしまう。

天慶2年に将門が「新皇」を自称し「天慶の乱(平将門の乱)」が起こる。貞盛らは、母方の叔父の藤原秀郷の協力を得て将門を攻め、これを討ち取った。

将門討伐後の論功行賞で、多年の苦難を経て努力した貞盛の為すところも大きいとして、従五位上(後に従四位下)に叙せられた。


後年、藤原秀郷らとともに武士の始まりの名将として長く伝えられる。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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