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結城氏朝 ゆうき うじとも 


No. 45


【結城氏朝】

ゆうき うじとも 

Yuki Ujitomo



強大な勢力を誇る小山氏の血筋で、下総の結城氏の養嗣子となって家督を継ぐが、幕府に反旗を翻した結城氏の当主。



【別称・通称】結城七郎

【官位】従五位下/中務大夫

【生年】応永9年(1402年)

【没年】嘉吉元年(1441年)

【時代】室町時代前期

【氏族・血族】小山氏〜結城氏

【在所・所領】下総国結城

【墓所】

【由縁の場所】茨城県結城市

【家系・系譜】

父:小山泰朝、結城満広

兄弟:小山満泰あるいは小山持政、小山広朝、山川氏義

子:持朝、朝兼、長朝、成朝



結城氏と小山氏の関係は堅固で、なかなか興味深い。




小山氏十二代・小山泰朝の次男として誕生


小山氏第十二代・小山泰朝の次男として誕生。

伯父で結城氏第十代当主・結城満広の養嗣子となって結城氏第十一代の家督を継ぐ。

鎌倉公方四代の足利持氏より偏諱を受けて氏朝と名乗る。


支持していた足利持氏が、永享の乱で第六代将軍・足利義教の幕府軍に敗れ自害すると、氏朝は、関東が足利義教の配下に入ることに不満を抱き、持氏の遺児・春王丸や安王丸らを結城城に迎え、幕府に対して公然と反旗を翻した。

これは「結城合戦」と呼ばれる対立である。


これに対して将軍足利義教は、上杉清方を総大将とした大軍を結城城に送って攻め、嘉吉元年4月に結城城は落城。安王丸と春王丸は捕らえられ、後に殺され、氏朝は嫡男で第十二代当主であった持朝と共に討死して果てた。


氏朝享年40歳。

結城氏は、末子・重朝が生き延び、後に足利成氏によって再興が許されている。


※少し後の同じ室町時代、同姓同名の武将に、白河結城氏第五代当主の結城氏朝がいる。

この氏朝は、那須氏第十二代当主・那須資之の子の資朝の子(資之の孫)として生まれ、白河結城氏の四代当主・結城満朝の養子となり白河結城氏を継いだ。永享の乱では幕府方につき、足利持氏や結城氏朝(下総結城氏)とは敵対する側にいた。




※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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