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大百足 おおむかで


■ 滋賀県大津市の藤原秀郷伝説「近江の大百足退治」について


今から1100年ほど前の朱雀天皇の時代、下野国の官吏の藤原村雄朝臣の嫡男で、藤原秀郷という武将がいた。


 ある時、近江国の瀬田の唐橋に大蛇が横たわって人々の通行を妨げることがあった。そこを通りかかった秀郷は、臆することなく大蛇を踏みつけて平然と渡ってしまった。


 その夜、美しい娘が藤太を訪ねてきた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間秀郷が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたもので、大蛇に姿を変え勇猛な者を探していたのであった。娘は、龍神一族が三上山の大百足に苦しめられていると訴え、秀郷の勇猛さを見込んで百足退治を懇願した。


 秀郷はこれを引き受け、伝来の太刀と得意の弓を持って三上山に向かうと、山を七巻半する大百足が現れた。秀郷は得意の矢を射たが大百足には通じない。最後の一本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射ると、見事に大百足を射止めて刻んで捨てた。



▶︎退治前の大百足

 翌朝再び娘が現れ、百足退治の礼として、巻絹、首を結んだ俵、赤銅の釣鐘を贈られる。俵は米を取り出しても尽きることがなく、このことから秀郷は「俵藤太」(たわらのとうた)と呼ばれるようになった。


 またその後、月の明るい夜更けに再度娘が現れて、秀郷を湖水(琵琶湖)の中にある龍宮に招きそこで饗応した。湖水の主の龍王は「御身の子孫のために、必ず恩を謝すべし」といって、黄金札(こがねざね)の鎧、黄金作りの太刀を与え、「これで朝敵を滅ぼして将軍に任ずるように」という。さらに、釣鐘を取り出して「日本国の宝になし給え」と与えた。秀郷は、鎧と剣は武士の重宝として子孫に伝え、釣鐘は近江の三井寺に寄進した。




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