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【第12回】 藤原氏って一体なに者?!

はじめての歴史ブログ 第12回

ライター記者:ゆめか


みなさんこんにちは!


前回の投稿では、「藤原氏ってなに?」「いつごろからいるの?」といった初心者目線で「藤原氏」という氏族についての疑問について書いてみました!


さて今回は、前回のブログでもお伝えした通り『藤原秀郷』をもっとよく知るべく「藤原氏」って一体何者なのか!どれくらいすごい氏族なのか!みなさんと一緒に見ていきたいと思います♪




■ 藤原氏多すぎ問題!?


歴史上で重要な役割を担っていたとされる「藤原氏」。

でも一体どれくらいすごいのか気になります。。

私がカンタン年表を作っていてまず最初にすごい!と思ったのはその人数の多さです!

↓カンタン年表はこちらから↓



おそらくみなさんも、中学から高校まで「藤原の〇〇」という名前を幾度となく聞いてきたと思います。


そんな記憶も私の中では今となっては薄れてしまっていますが、、

カンタン年表作成のために、Youtube高校生やオリラジのアッちゃんの歴史ビデオを改めて見てみると、やっぱり藤原氏は多すぎる!と改めて感じました。。(ヒェ~)


そんなYoutube高校生のビデオはこちらからご覧いただけます♪↓


それもそのはず!前回の記事でも発見したように、藤原氏の始まりは飛鳥時代の乙巳の変を起こした「藤原鎌足(かまたり)」から始まりったとされていますが、そこから奈良時代…平安時代…鎌倉時代へと藤原氏の時代が始まるようなんです!



■ 藤原氏ってどんな存在だったの?


では、実際「藤原氏」はどんな偉業を成し遂げてきたのでしょうか??


んー。… 人数も多ければ出来事も多いんですが…


でも調べているうちに見えてきたのは、藤原氏といえば「摂関政治(せっかんせいじ)」でも有名ということです!でも「摂関政治」ってそもそも何?!ということで岡ジィから聞いてみたところ…


「摂関政治」=自分の娘を天皇の嫁に贈り義理の父になることで、天皇の代わりに政治を行うこと


らしいです。。まだパッとしないですが、私なりにカンタン年表で調べてみて、初心者目線ではありますが気づいたことは、「藤原氏は天皇に信頼されていた存在だった」ということです。


天皇に変わって政治を任されるくらいですから、権力も勢力も実力も信頼も兼ねていた国の中心を影で支える存在だったのかもしれない…と勝手に思ってしまいました!



はい!今回のブログはここまでとします!


次回も、引き続きカンタン年表に沿って、代々の藤原氏からどう『藤原秀郷(ふじわらひでさと)』へと繋がっていったのか?みなさんと一緒に見ていきたいと思います!


最後まで読んでくださりありがとうございます☆

また次回のブログでお会いしましょう~♪


*English summary*

Previously, I wrote about how Fujiwara’s ancestor was born and what happened when he was alive. However, you might curious about what kind of people they are, and what exactly they did in Japanese historical time. As far as I studied about Fujiwara clan for making Kantan Chronology, I realised there is so many Fujiwara clan in the Japanese history as they dominated the Japanese politics of Heian period (794–1185) through the monopoly of regent positions, sesshō and kampaku.[5] The family's primary strategy for central influence was through the marrying of Fujiwara daughters to emperors. 



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