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【第48回】 鎌倉幕府を裏から支えた武将たちがいた。その2 (2021年11月26日 更新)


はじめての歴史ブログ 第48回

ライター記者:ゆめか





前回のブログでは、来年のHNK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代より少し前の時期に焦点を当てて、鎌倉幕府成立を裏から支えた栃木の武将・氏族「小山氏」について、みなさんと一緒に見ていきました!まさか…栃木の武将があの鎌倉幕府を成立した「源頼朝」を支えていたとは…栃木県民の一人として、今でも衝撃です。。


▼前回【第47回】「鎌倉殿の13人」幕府の成立を裏から支えた栃木の武将たちがいた。▼
















では!今回のブログに参りましょう!


今回も、鎌倉幕府の成立を裏で支えた武将の一人を、みなさんと一緒に見ていきたいと思います!前回書かせていただいた「小山氏」よりも前に源頼朝と深い関わりを持った栃木の武将がいたようなのです!?





■源頼朝がどうしても学びたかった武芸


源頼朝といえば、誰もが知っている鎌倉幕府という日本で初めて武士が中心の「武家政権」を確立した人物。


その超有名武将がどうしても知りたかった武芸がありました。それは、


「秀郷流の流鏑馬」



とのことなのです!



▼「藤原秀郷・弓馬」当会の公式イラスト



流鏑馬(やぶさめ)とは、日本で昔から引き継がれている「弓馬術」のこととのこと!武家社会で行われた騎射の一種で、まさに、馬術と弓術を組み合わせたハイブリッドな戦術ということでしょうか…?!











■武士のブランド「秀郷流」



そう言えば、栃木の武将「藤原秀郷」は流鏑馬の名手として知られていましたね!!

秀郷公は武勇に優れていた武将だったことから、


「秀郷流」


という武芸の流派まで存在するほどの武将だったとのこと。


秀郷公の子孫を調べているうちに、平安時代から「秀郷流」を学び引き継いだ武将も多かったのだな…と、つくづく秀郷公の存在感に圧倒されます。。


それくらい、武士のブランドとして憧れをもたれていたからこそ、

源頼朝が秀郷流を学びたかったのかなぁ...と想像してしまします。




■源頼朝に武芸を教えた栃木の武将とは?!



前置きが長くなってしまいすみません。。。

では、一体誰だったのでしょうか?

みなさんもおそらく、「え!?栃木に源頼朝と深い関わりを持っていた栃木の武将がいたの?!」と思われるかと思います。。

…います!(ぴかりんっ!)



「藤原秀郷」の流れをくむ秀郷流の武門の家柄である佐藤氏の嫡子として生まれた



佐藤 義清(さとう のりきよ)」またの名を「西行法師(さいぎょうほうし)」


という武将です!



歴史に詳しい岡ジィに詳しくその話を聞いてみると、

西行は、もともと腕のある武将で有名だったが、出家をして僧侶になり歌を詠んで日本をまわっていたとのこと。


その際に、源頼朝から「和歌と武芸を教えてほしい!」と言われ、一度は断った?!らしいのですが、頼朝の熱いお願いに、西行が応えて秀郷流の流鏑馬を源頼朝に教えたという話があるとのこと。


この出来事は、吾妻鏡(あずまかがみ)という歴史書物にも書かれているんです!


それがこちら▼


吾妻鑑 第六巻 106~107 ページ

文治 2 年 8 月 15 日および 16 日の項

頼朝、西行に会うの件



【簡単な現代語訳】


十五日、頼朝公が鶴ヶ岡八幡宮に参拝なされていると、鳥居のあたりに怪しい老僧が徘徊していた。 この僧を梶原景季が問いただしたところ、西行法師だった。 頼朝公は、西行法師を御所に招いて歓談に及んだ。 頼朝公は、特に歌の道と兵法について教えを請うた。すると西行は、「家伝の兵法書についは、罪業の因縁を作る 要因となるので出家したときに全て焼き払った。心に残っていたことも全て忘れ去ってしまいました。」と答えた。また 歌の道については、「奥義などというものはまったくありません。ただただ花や月を見ては心に感ずるままに三十一 字にまとめて書き連ねるだけのことです。人にお教えするほどのものは何もありません。」と答えた。 しかし、熱心に頼朝公が聞くので、兵法については結構おしゃべりになり、これを藤原俊兼に書き取らせた。この歓談は夜遅くまで続いた。


十六日、午前十一時、西行法師は、引き留められたけれども館をお出になった。 頼朝公は、お礼に銀の猫を西行法師に賜った。 ところがこの猫について通りで遊んでいた幼子に与えて去ったということである。 西行法師の今回の旅に付いては、重源上人のお願いを引き受けて東大寺の沙金勧請のために奥州に向かうため だということだ。 その途中で鶴ヶ岡八幡宮に寄られてようだ。陸奥守秀衡公は、西行法師の遠戚の一族であるのだ。 ※二品(にほん)=官位二位の人。この場合、源頼朝のこと。


ますます…栃木の武将と鎌倉幕府の繋がりを感じます!!!




▼佐藤義清(西行)の仰天話はこちら!














▼源頼朝について詳しく知りたい!


















はい!ということで、今回のブログはここまでとします!


次回は、「鎌倉殿の13人」特集として、13人のうちの一人「安達盛長(あだちもりなが)」という武将について、みなさんと一緒にみていきたいと思います!


いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!

では!次回のブログでお会いしましょう~♪



 

今日の+α☆

「秀郷流」は有名武将に代々引き継がれていった!


 


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