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【第47回】 鎌倉幕府を裏から支えた栃木の武将たちがいた。その1


はじめての歴史ブログ 第47回

ライター記者:ゆめか





みなさんこんにちは!


前回のブログでは、来年のHNK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する!?であろう13人のうちの一人「足立遠元」という武将について、歴史初心者目線でみなさんと一緒にみていきました!来年1月の公開に向けて、心の準備のためにも鎌倉時代関連のブログを書いていきたいと思います!


▼前回【第46回】鎌倉殿の13人の一人。足立遠元。▼
















では!今回のブログに参りましょう!


今回は予定を変更させていただき、「鎌倉殿の13人」の出来事の少し前の頃に焦点をあてていきたいと思います!というのも、鎌倉幕府が成立する前から、将軍「源頼朝」を裏から支えていた、栃木県の氏族たちがいた!?という情報を小耳に挟み...とても気になったので、みなさんと一緒にみていきたいと思います!!!





■鎌倉幕府といえば・・・ズバリ!


みなさんは、「鎌倉幕府」と聞いて一番最初に何を思い浮かべますか?


私がこの言葉を聞いて一番最初に思い浮かんだのは…


「いい国つくろう」というフレーズ。。


みなさんもよく聞き覚えのある言葉かと思います…!


「1(い)1(い)9(く)2(に)年」に鎌倉幕府が成立したことを覚えるために

必死でこのフレーズを覚えたのを今でも覚えています。。


ですが!実は、今の歴史の教科書には「いい国つくろう(1192年)」とは書いていない!?そうなんです!(ぎょっ!)


今は「1185年=イイハコ」が鎌倉幕府誕生の年!と書かれているとのことです!


では、1192年は何が起きたのでしょうか…?


調べてみると…(ふむふむ)


1192年は、鎌倉幕府を開いた「源頼朝 みなもとのよりとも」が征夷大将軍という職に就いた年とのこと!(なるほど..!)


1192年前から、すでに鎌倉幕府は始まっていたのですね!!!


▼源頼朝について詳しく知りたい!














■鎌倉幕府成立を裏から支えた栃木の氏族!?




栃木の武士たちが!?と思われる方も多いかと思います。。


私も栃木県民でありながら、、正直びっくりしました!!


鎌倉幕府を開いた源頼朝を支え続けた氏族。それは…


栃木県小山市の氏族「小山氏」なのです!!!


いつものように岡ジィに詳しく聞いてみると、


小山氏は初代「小山政光」からず~っと源頼朝をサポートしていたとのこと。(ふむふむ)


【第21回 栃木の武士を支えた女性】のブログの中でもチラッと書かせていただいていましたが、


小山政光の妻「寒川尼 さむかわに」は、実は源頼朝の乳母だったこともあり、


源頼朝からの小山氏への信頼は厚かったのではないかとのことなんです!


 

乳母とは?

乳母とは、母親に代わって子育てをする女性のこと。

 


でも、実際どのようにして小山氏が、鎌倉幕府を開いた源頼朝をサポートしていたのでしょう…?





■小山氏から源頼朝へ伝えられた「秀郷流」




岡ジィにもっと詳しく聞いてみたところ、栃木の武将「藤原秀郷」に深く関係することがわかりました!!!


というのも…、


「吾妻鏡 あずまかがみ」という当時のことが記録されている書物には、小山朝政 おやまともまさ(小山政光の長男)が、源頼朝に「秀郷流」の流鏑馬を教えていたことが書いてあるとのことなのです!では、その文書をみてみましょう!!


吾妻鏡第十四巻(106~107ページ)頼朝、小山朝政邸流鏑馬談義の件


ん~。。なんて書いてあるのか、、、さっぱりわかりません。(ひょ~。)


でも、現代語訳をみてみると…


(現代語訳)


建久五年(1194年)十月大九日丙寅。

将軍頼朝様は、小山左衛門尉朝政の家へ入られた。朝政の兄弟を始めとする一族が集り、何人かがご機嫌を伺った。その場に、馬上弓の名人達を呼び集めて、昔からの伝え書きを見た。先例や古い言い伝えを調べて、流鏑馬を始めとする的類の射方を語り合った。その先例は、それぞれに伝えられている家の説は、それぞれ皆違っていて一つとして同じではない。そこで、右京進中原仲業にそれぞれの意見を記録させた。これは、来年京都へ上る時に、住吉大社へお参りをするので、願い事をかなえるために、名人達に流鏑馬を射らせる。関西の連中が見物をしていたならば、これを見て、さすがに東国こそ弓の本場だと言うのじゃないだろうか。なので、後日恥をかかないように、良く見比べて選出し、その見事な腕前を若い連中の勉強とするように、この催しをすることになった。

その連中は

下河邊庄司行平      小山左衛門尉朝政

武田兵衛尉有義      結城七郎朝光

小笠原次郎長淸      和田左衛門尉義盛

榛谷四郎重朝       工藤小次郎行光

諏方大夫盛澄       海野小太郎幸氏

氏家五郎公頼       小鹿嶋橘次公業

曾我太郎祐信       藤澤次郎淸近

望月三郎重澄       愛甲三郎季隆

宇佐美右衛門尉祐成    那須太郎光助



ふむふむ…!源頼朝は、小山朝政の家に足を運んでまでして「秀郷流」を学びたかった!ということがわかります!!!(これには本当にびっくりです。)


平安時代中期を生きた「藤原秀郷」から代々受け継がれてきた「秀郷流」を、小山氏の小山朝政が父政光から受け継ぎ、そして、朝政が源頼朝へと受け継いでいったとのことです!


そこまでして源頼朝が「秀郷流」を学びたかった背景には、きっと「藤原秀郷」への憧れや小山氏への信頼があったのかな…?と色々と想像してしまいます。。




▼「鎌倉殿の13人」について詳しく知りたい方はこちらのページがおすすめです!







はい!ということで、今回のブログはここまでとします!


次回は、小山氏より前に源頼朝に秀郷流の武芸を教えていた武将がいた!?らしいので、その人物についても、みなさんと一緒にみていきたいと思います!


いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!

では!次回のブログでお会いしましょう~♪



 

今日の+α☆

「小山氏」は鎌倉幕府を裏から支えたすごい氏族だった!


 


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