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【会員寄稿コラム】藤原秀郷流を訪ねて……《5》阿曾沼氏と蒲生氏郷

更新日:17 時間前

2025年5月2日

栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会

佐野支部 永島正光





蒲生氏郷のはからい


「殿下、この度の奥州仕置、祝着至極にございます。ところで、殿下にこの忠三郎(氏郷)よりお願いの義がございます。この度の小田原の陣、諸事情あって参陣出来ず改易となりし陸奥遠野の阿曾沼孫次郎(広郷)、それがしに免じて所領だけは安堵していただけませんでしょうか」

1590年、小田原北条氏を成敗し、宇都宮で奥州仕置を行った豊臣秀吉。浅野長政と共に奥州平定の実務を任された蒲生氏郷は、陸奥遠野大名、阿曾沼広郷の処分軽減を嘆願したようです。

「氏郷」「広郷」そうです、この両名「郷」の字が付きます、正しく秀郷流。阿曾沼氏も蒲生氏も先祖は同じ藤原秀郷。



1579年、阿曾沼広郷は織田信長に白鷹を献上しています、信長の娘婿の蒲生氏郷は遥か彼方の陸奥遠野の阿曾沼広郷の覚えもあり、両家は以前より親交があったようです。そして秀郷押しの氏郷には特別な思いがあったのかも知れません。氏郷の嘆願により、秀吉は広郷を南部家の与力としますが改易はせず所領は安堵します。



阿曾沼氏の足跡


1600年、奥州関ヶ原と言われた「慶長出羽合戦」遠野阿曾沼家当主は広郷の息子の広長、東軍南部隊の部隊として参加しますが、一族の内紛があり南部氏に吸収されてしまい遠野阿曾沼家は約400年の歴史に幕を閉じます。(一説には南部氏の策略とも?)

 

佐野市にある阿曾沼城跡(神社)、1182年に築城した阿曾沼氏の初代広綱は藤姓足利有綱の四男、佐野氏初代基綱の弟です。

鎌倉時代の「吾妻鏡」1184年、8月8日、正午に鎌倉を出発した総大将源範頼の平家討伐軍。主要メンバーと行軍順(御家人ランク順?)阿曾沼四郎広綱は16番目、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には出ていませんでしたがなかなかの人物です。


阿曽沼(あそぬま)城跡 浅沼八幡宮

 


平家追討、奥州藤原氏討伐、承久の変と広綱、息子の朝綱、親綱は大活躍しました。恩賞として頂いたのが陸奥遠野保、安芸世能庄、その他。


親綱が勧請・築城した遠野八幡宮(左)と遠野横田城(右)

 


本家佐野阿曾沼氏は1333年の建武の新政以後の南北朝時代、南朝方に与し、北朝方の本家筋佐野氏と現在の佐野市堀米町付近で三度も戦ったようです。その後南朝方の敗戦により佐野阿曾沼本家も衰退戦国時代には佐野家の家臣となってしまいました。

 

因みに安芸阿曾沼氏は1222年に現在の広島市安芸区に鳥籠山(とこのやま)城を築きます。国人領主として独立性を維持しながら、尼子氏、大内氏、そして最終的には毛利氏に属し重臣として明治時代まで続きました。


 

本家が没落し庶流が本家を凌いでしまうケースはよく見かけますが東国の秀郷流にもちらほら。出羽仙北の小野寺氏、白川結城氏、陸奥長沼氏、そして、遠野、安芸阿曾沼氏など。

 

今回も藤原秀郷の「郷」の字を追いかけてみましたがこの阿曾沼氏にはたくさんの「郷」さんがいます、きっと先祖秀郷への格別な思いがあったのではとまた妄想しています。

余談ですが安芸阿曾沼氏、戦国時代には「元郷」「就郷」なんて名前がありますが、これ主君「毛利元就」からの頂きものですよね。



藤原秀郷への崇拝


秀郷を誰よりも崇拝する蒲生氏郷にはこんな逸話も伝わっています。

蒲生家の家紋は「対い鶴」(むかいつる)、1400年代に蒲生秀朝がある縁起を担いで使い始めたとか、勿論会津「鶴ヶ城」の鶴も氏郷がここからとりました。



 

氏郷は会津に移封してからもう一つ「三つ巴」の家紋も使い始めています。秀郷嫡流を自負する小山氏は小田原北条氏の傀儡となってしまい1590年の小田原征伐で共に滅亡してしまいます。これを目のあたりにした氏郷は秀郷流の多くの諸氏が使用していた「三つ巴」を蒲生家の家紋に加え小山氏亡き後、秀郷嫡流を引き継ぐ覚悟だったとか。

また一説には会津に移封され50万石の大守となった時、同族の佐野某から「三つ巴」の家紋を贈られたとか(佐野氏の家紋は左三つ巴)、佐野某?もしかしたら時期的に天徳寺宝衍?妄想は止まらない。おそらく「対い鶴」の家紋以前はこの巴の家紋を使用していたのではないかと思います。

 

氏郷が秀郷嫡流を引き継いだ蒲生家でしたが、氏郷は40歳、秀行は30歳、忠郷26歳、、皆、病死と。そして1634年忠知(31歳)同じく病死、嗣子なく断絶となってしまいます。

会津移封を嘆いたと言われる氏郷、心の奥では秀郷ゆかりの故郷、近江に帰りたかったのではないでしょうか。


近江日野城:蒲生氏郷生誕の地
近江日野城:蒲生氏郷生誕の地



参考資料

「栃木県史」資料編などに見る中世の遠野    岩本由輝氏(東北学院大学名誉教授)

栃木県史のしおり「安芸阿曾沼氏について」     河合正治氏(広島大学名誉教授)

足利の昔(5)~阿曾沼(浅沼)一族       足利菅田山光得寺縁起編纂委員会




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