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「第34回佐野秀郷まつり」にのせて

19 時間前
読了時間: 7分

 平将門を知らずして藤原秀郷は語れない

2026.10.1 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会 佐野支部 永島正光




1.『平将門が目指したもの』


―「調停者」から「新皇」へ― ① 東国で何が起きていたのか、律令国家の地方支配が揺らぐ


9~10世紀の東国では、国司・郡司・在地豪族などが複雑に絡み合い、土地・租税・利権をめぐる争いが起きていました。将門もまた、こうした東国社会の中に生きた在地豪族でした。



② 将門は「争いを収める者」になった


一族間の争いを経て勢力を拡大した将門は、やがて東国の紛争に介入するようになります。武蔵国では、興世王・源経基と武蔵武芝の対立に調停者として介入しました。ここで将門は、「戦う武士」から「東国の争いを裁定する武士」へと変化していきます。


③ しかし、調停では解決できない壁があった


常陸国の藤原玄明をめぐって、将門と常陸国府の対立が決定的になります。


そして939年、将門は常陸国府を攻撃。ここが大きな転換点です。「一地方の紛争」から「国家との対決」へ。その後、下野・上野などの国府を制圧し、坂東諸国の支配へと進んでいきます。

④ 将門は、本当に「新皇」になりたかったのか?


「新皇」は将門の最初からの目的だったのか?


それとも、東国支配を進める中で選ばざるを得なかった道だったのか?


史料から将門の心の内を完全に知ることはできません。しかし、彼が坂東を朝廷とは別の秩序で統治しようとしたことは、国府の制圧や人事の配置などから見ることができます。そして、「調停者」は、いつしか「支配者」になった。


⑤ 将門の乱が後世に残したもの「将門は死んだ。しかし、東国武士は消えなかった。」


将門を討ったのは、平貞盛と藤原秀郷らでした。そして秀郷は後に鎮守府将軍となり、その子孫から小山氏・長沼氏・結城氏・佐野氏など、東国を代表する武士団が形成されていきます。一方、平貞盛の系統からは後の平氏、平清盛につながる流れも生まれます。そして河内源氏では、源頼信・頼義・義家と続く武士の系譜が形成されます。秀郷流・平氏・源氏――東国の武士社会が次第に姿を現していきます。


約250年後、源頼朝が鎌倉に幕府を開く。将門は鎌倉幕府をつくった人物ではない。


しかし、将門が生きた東国こそ、やがて武士が政治の主役となる舞台になった。


そして、


「反逆者」だったのか。


「東国の英雄」だったのか。


「新しい時代の先駆者」だったのか。


答えは、見る人に委ねられている。


*【こぼれ話】「平将門と西郷隆盛~二人に共通するもの?」


西南戦争に見る西郷隆盛


「本人の意思に反して、自らが望んだ以上の政治的・軍事的対立へと巻き込まれ、最終的には朝廷・政府と戦うことになった人物として、後世の人間には重なる姿にも見える。」


2.『藤原秀郷の将門への心情』


——将門と同じ東国社会に生き、「別の道」を選んだ人物——   


       


秀郷自身も決して「朝廷に忠実なエリート官人」という人物ではありません。


秀郷は下野の在地勢力で、916年には一族とともに流罪となり、その後も「濫行」を理由に問題視されています。つまり、朝廷・国司側から見れば、秀郷もまた完全に従順な人物ではなかったのです。ですから、


将門=朝廷に反抗した東国武士


秀郷=朝廷に忠実な官軍の英雄


という単純な構図は、かなり後世的な整理だと思います。


「敵ではある。しかし、他人事ではなかった」これが一番近いのではないでしょうか。


秀郷も将門も、京都の中央貴族社会から遠く離れた東国を基盤とする在地勢力です。


将門が、「なぜ東国のことを、京の人間が決めるのか」という方向へ進んでいったのだとすれば、秀郷にも東国在地勢力としての感覚があった可能性は十分考えられます。


「将門の行動には理解できる部分があった。しかし、将門が国府を制圧し、新皇を称するところまで進んだ時、秀郷はそこに自分の生きる道を重ねることができなかった」という推測なら、かなり自然だと思います。


注目したいのは「秀郷がいつ将門と敵対したのか」です


将門の乱が最初から「朝廷対将門」だったわけではありません。


将門は一族間の争いから始まり、東国の紛争に介入し、やがて常陸国府との対立に進み、そして国府を制圧して「新皇」に至ります。


一方、秀郷は940年正月、下野掾・押領使として追討側に組み込まれます。つまり、朝廷が将門討伐のために東国の在地勢力を動員した段階で、秀郷は公的に討伐側に立ったことになります。


ここから、「秀郷はいつ、将門を“自分とは違う道を選んだ男”と認識したのか?」


という問いが生まれます。これは史料では答えが出ません。


そして「恩賞目的ではないと思いたい」というお気持ちもありますが、実際、朝廷は将門を討った者に対してかなり大きな恩賞を提示しています。


記録でも秀郷は、将門討伐後に従四位下、下野守などに任じられ、大きな恩賞を受けています。したがって、「秀郷には恩賞という動機がなかった」とは言えません。しかし、「だから秀郷は恩賞欲しさだけで将門を討った」とも言えません。


人間の行動は一つの理由だけでは決まりません。むしろ私は「秀郷自身の生存戦略」と考えます


将門が目指したものを、「東国社会を自分の力で守り、裁定する」方向だと仮定する。


一方、秀郷も東国の有力者です。


そこで将門が国府を制圧し、「新皇」として坂東を統治しようとする。


そうなると秀郷にとって、①「将門に従う」、②「将門と戦う」、③「どちらにもつかず様子を見る」という選択肢があったでしょう。


そして朝廷が秀郷を正式に追討側に取り込んだ。この時点で、


①「将門の坂東」と、②「朝廷の坂東」のどちらを選ぶかという問題になった。




私は、秀郷にとっては、「将門に対する個人的な好き嫌い」よりも、「将門が作ろうとしている秩序に、自分と自分の一族の将来を預けられるのか」という判断の方が大きかったのではないかと思います。


「秀郷は、将門の側に立つ可能性もあったのか?」


秀郷もまた、下野を基盤とする在地勢力であり、中央から見れば必ずしも従順な人物ではなかった。将門との共通性を指摘する見方はある。しかし、秀郷が将門に共感していたことを直接示す同時代史料は確認できない。


「もし秀郷が将門を理解していたとしたら――」


同じ東国に生きた二人、将門と秀郷。二人とも中央から遠く離れた東国を基盤とする武人だった。将門は東国の争いに介入し、やがて「新皇」を称するまでに至った。秀郷もまた、中央から見れば必ずしも従順な在地勢力ではなかった。


では、秀郷は将門をどう見ていたのだろうか。


「理解できる部分はあったのではないか」


「しかし、将門の進んだ道には従えなかったのではないか」


これは、史料からは断定できない。ただ一つ確かなのは、秀郷が将門を討ったことである。


同じ東国に生きた二人は、最後には敵として向き合うことになった。そして、これは前回の「将門=調停者」というテーマと非常にきれいにつながります


・「二人の東国武士」


『平将門』

『藤原秀郷』

東国の在地勢力

東国の在地勢力

紛争の調停者へ

地域の軍事的実力者へ

国府との対立

朝廷から追討を命じられる

「新皇」へ

朝廷側の追討者へ

東国独自の秩序を目指した可能性

朝廷の秩序を利用して東国で勢力を拡大

940年敗死

将門討伐で大きく飛躍


「もし、立場が逆だったら?」


「秀郷は将門を理解していたのか。それとも、東国の覇権をめぐる競合者として見ていたのか。」


恩賞についても秀郷は将門を討ち、朝廷から大きな恩賞を得た。それは事実である。しかし、それが討伐の唯一の動機だったと断定することもできない。


秀郷を単なる「将門を倒した英雄」にせず、「将門と同じ東国社会に生き、別の道を選んだ人物」として描くことで、地域の歴史にもつながってきます。




秀郷は生涯で分かっている事績はわずかに四つと言われています。現在、秀郷に関して言われていることは後の時代に書かれた系図類、物語、伝説が由来となっています。「同じ境遇?」という伝承も含めてこの「分からないグレーゾーン」、私の妄想ロマンの「みなもと」、大切に伝えていきたいと思います。


そして将門の乱後、秀郷の行動の記録がほとんどないのも気になります。


四つ残っている最後の記録「貞信公記抄」の天暦元年(947)閏7月24日の記述


「中使随時朝臣来伝、権中納言奏伝、秀郷朝臣所申、故将門兄弟可反事、及給功田事」(イメージ漢文)


この記述が将門の乱の7年後、秀郷の生没年は諸説ありますがかなりの高齢だったと思われます。この文面での注目したい「何故?」は三つ。


①東国の故将門の兄弟の様子を秀郷が報告している。


②「功田」を望んでいる。


③権中納言を介して報告している。


早速ですが妄想ロマンは止まりません、病気でしょうか?



参考資料


・日本紀略


・平将門の乱(戦争の日本史4)国会図書館


・史蹟将門塚保存会


・「藤原秀郷、源平と並ぶ名門武士団の成立」栃木県立博物館


・「歴史の中の栃木」toshichanno


・「将門記」とちぎデジタルミュージアム


・貞信公記抄(ていしんこうきしょう)


・藤原忠平(関白太政大臣)の日記「貞信公記」延喜7年(907)~天暦2年(948)を、長男の藤原実頼が抜き書きした写本。


他、


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