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第17回 藤原秀郷 交流会『歴史カフェ』2026年6月20日開催
- 9 時間前
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今回の交流会は、「藤原秀郷に続いた東国武将たち」をテーマに、宇都宮二荒山神社の由緒書を読み解きながら、東国武士たちが受け継いだ“武の祈り”と、宇都宮という土地、そして藤原秀郷が果たした歴史的役割を探りました。


「神社に行ったら読むけれど、なかなか頭に入らない……」
そう、神社の「由緒書き(ゆいしょがき)」には難しい言葉が並んでいて、スムーズに読み解くのは一苦労ですよね... 下野一の宮(しもつけいちのみや)である「宇都宮二荒山神社」に祀られている神様は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。
名前からして少し難解ですが、第10代・崇神(すじん)天皇の第一皇子で、東国を治めた「戦いの神」とされています。
実は、源頼朝の奥州征伐(1189年)までは、栃木より北の地はまだ朝廷の支配が十分に及んでいない地域でした。そのため、頼朝も奥州征伐に向かう際には、宇都宮二荒山神社で戦勝祈願を行っています。
ただ、頼朝よりも前に、武士の誉れと称される「八幡太郎義家(源義家)」、そして我らが『藤原秀郷(ふじわらのひでさと)』による戦勝祈願が先立ってありました。秀郷公に始まり、頼朝、そして後々の徳川家康の参拝にまで続く「武運信仰」の歴史が、あの由緒書きには記されているのです。


平将門の討伐において、秀郷公は17日間の戦勝祈願を行って見事これを成就。のちに下野・武蔵両国の国司(知事のような職)、さらには武士の最高名誉職ともいえる「鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)」となりました。
今回は、そんな藤原秀郷の存在と、彼の戦勝成就から始まった宇都宮二荒山神社の「武運信仰」の流れについて、当会顧問の岡田さんと水野さんにじっくり解説いただきました!




