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寒川尼 さむかわに

最終更新: 1月8日


File No.11 

【寒川尼】

さむかわに 

samukawani

関東武士に大きな影響を与えた女性。小山政光の妻。


【別名Another name】

寒河尼 さむかわのあま

【生年・没年】

保延3年〜安貞2年(1137〜1228)


【氏族・血族】

宇都宮氏二代 八田宗綱の娘


■ 生涯について

宇都宮氏二代八田宗綱の娘、京都で生まれ、女房として近衛天皇に仕えたといわれる。

その人格人望から源頼朝の乳母の一人となる。

その後、小山政光の後室となり、その子をその後の関東武士の指針となるべく育てたという。


治承4年(1180年)8月、源頼朝が反平家で兵を挙げた時、夫の小山政光は役目があり上京中で不在だった。寒河尼は、当時14歳の末子(のちの朝光)を伴い源頼朝の宿所を訪れた。

寒川尼は、頼朝と往事(乳母時代)の思い出などを語り、我が子を側近として奉公させたいと願う。頼朝は、自ら烏帽子親(仮の親)となって元服させ小山七郎宗朝と名乗らせた。(のちに朝光に改名)


女地頭 寒川尼

当時武士の妻は、夫の不在中、その権限を取り仕切るのが慣習であった。この寒川尼の行動によって、下野国最大の武士団小山氏が頼朝方についたことになり、このことは北関東の武士団のその後に、決定的な影響を与えたものと思われる。

文治3年(1187年)12月、寒河尼は「女性たりといえども、大功あるによる也」として下野国寒川郡ならびに網戸郷の地頭職に任ぜられ、文字通り女地頭となった。



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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