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小山政光 おやま まさみつ

最終更新: 9月10日


File No.10 【小山政光】 おやままさみつ 


藤原秀郷の精神を受け継いだ一大武士団の長。

夫唱婦随の姿勢が現代でも人気。


別名Another name=太田政光〜小山政光〜蓮西

生年・没年=不詳 平安末から鎌倉初期頃

氏族・血族=藤原北家秀郷流小山氏の祖


武蔵国・在庁官人で藤原秀郷の直系子孫とされる太田行政の子として誕生したといわれる。

当初は太田地区(現在の埼玉県北部)を本拠としていたため太田政光を名乗るが、

藤原秀郷を意識し憧れたためか、久安6年(1150年)頃、

勢力範囲内である下野国小山荘に移住し小山氏の祖となる。


後室で三男・朝光の生母である寒川尼は、源頼朝の乳母である。


文治5年(1189年)7月、源頼朝が奥州合戦で奥州へ向かう途中、下野の小山政光の在所に立ち寄る。

政光が頼朝を接待した時、そこに熊谷直実の子・直家がいた。

政光が何者か訪ねると、

頼朝は「この者は本朝無双の勇士の熊谷小次郎直家だ」と紹介。

政光が、なぜ「無双」なのかたずねると、

頼朝は、「一ノ谷の戦いを始めとする平氏追討の戦場で、父直実と共に度々命がけで戦ったからである」

と褒めた。

政光は大いに笑って

「君(頼朝)のために命を捨てるのは、熊谷直家に限ったことではありません。

ただ、この者(直家)は、郎党を持たないために自ら勲功をあげ、高名手柄にするしかないのでしょう。

私政光のごときは、(配下が多くいるので)ただ郎党を派遣し勲功を挙げ、忠を尽くしているのですが、

皆の者、今度の戦では、自ら先頭に進んで自身で手柄を立て、

本朝無双の勇士と褒めていただこうではないか。」

と息子らに命じた。


その後この話は、

配下の部下の戦果が功績となる大領主の「大名」武士と、

自分自らで功績を立てるしかない「小名」武士の違いを示す例として広く知られることとなる。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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