

【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?⑳
2025年10月31日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 安延 嶺央 "異なる " ではなく"つながっていた " 沖縄 これまで19回にわたり、琉球と坂東武者の関係や、中世日本についてお話してきました。沖縄と言えば独自の文化、日本とは別の独立した国であったというイメージが強くあります。それは必ずしも誤りではないのですが、独自性の部分をやや強調しすぎている印象を持っています。 そのようになったのにはいくつかの理由があります。まず、明治時代以降の沖縄学は沖縄県民の自己認識として研究されてきたことです。そのため、自分たちはヤマトとはどれほど違うのか、どのような独自の特徴を持っているのかが強調される方向に行きがちな性質を持っていました。 また、前回お話ししたように、1609年薩摩藩による琉球侵攻以降、沖縄は厳しい支配を受け、明治維新後は強制的な同化政策、第二次世界大戦では全国で唯一の地上戦による甚大な被害、戦後は米軍による統治など、苦難の歴史となってしまいました。その状況下では、本土政府やヤマトとは別個の、自分たちのアイデン


【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?⑲
2025年10月17日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 安延 嶺央 豊臣の影を帯びた琉球侵攻と坂東武者の終焉 慶長14年(1609年)3月、ついに薩摩藩による琉球侵攻が始まります。坂東武者や商人、鎌倉時代の悪党と呼ばれる人たちなどが盛んに出入りし、鎌倉幕府や室町幕府と深く関わって交易で栄えた古琉球の時代が終わり、以後琉球は薩摩藩に服することとなってしまいます。そして明治維新後、いわゆる琉球処分で沖縄県となり、戦争や米軍による統治などの苦難あり、沖縄ブームや観光地としての賑わいなどの明るい話題ありで現在に至っています。 南風の春に向かった異例の“琉球侵攻” 薩摩藩と琉球は1580年頃までは友好関係を保っていましたが、豊臣政権、その後江戸幕府との間で次第に関係が悪化し、島津氏が大御所徳川家康、将軍徳川秀忠の許可を得て琉球を討つこととなりました。実際の侵攻は1609年の3月に行われますが、これは少し不思議です。九州から琉球へと向かうには、台風シーズンの終わった晩秋の北風に乗って南下するのが自然で、南風の吹き始める春に行うのは効率的


【会員寄稿コラム】栃木県は琉球王国の起源?⑱
2025年10月3日 栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会 会員 安延 嶺央 室町幕府の衰退と戦国時代の到来 これまで、平安時代末期から室町時代まで、坂東武者たちが日本列島を掌握し活躍していた時代における日本史と琉球史の関連について見てきましたが、その時代にも終わりがやってきます。室町幕府は足利氏により始まりましたが、享徳の乱や応仁の乱など戦乱が相次ぐ中で徐々に幕府の権威は喪われ、戦国時代となっていきます。 その中で、織田信長、豊臣秀吉が特に有力となり、最終的には徳川家康が江戸幕府を開くことはよく知られている通りですが、新しい時代を創り出していったいわゆる三英傑は中部地方の出身で、坂東武者ではありません。徳川氏は武家の棟梁としての正当性のため、系図上新田源氏を称していますが、それは事実とは異なることでしょう。 江戸幕府の成立と近世国家の形成 江戸幕府は250年以上も続き、江戸を中心とするその統治機構は大変よくできたものでした。儒教による統治、参勤交代、街道の整備、新田開発と河川の治水、政治の中心としての江戸と商都大阪…などなど多岐にわ





