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【第20回】 秀郷の子孫「大石内蔵助」!

最終更新: 2020年12月7日


はじめての歴史ブログ 第20回

ライター記者:ゆめか




みなさんこんにちは!

前回の記事では、栃木県足利市の武士「足利忠綱」について秀郷との関係についてや、”2種類の足利氏”についてみなさんと一緒に見てみました!そして!旅ブログでもご紹介している、足利忠綱の子孫が築城した三重県四日市市にある「浜田城」(現在は城址となり、鵜森神社がある所)を偶然にも訪れることができ、ちょっとした奇跡が続いています…!(ドキドキ)

▼前回の足利忠綱についての記事はこちらから♪▼

https://www.bando-bushi.com/post/20201120

▼三重県四日市市の鵜森神社と藤原秀郷の深い関係についてはこちら♪▼

https://www.bando-bushi.com/post/20201128

では!今回は、12月14日が近ずいているので…

少し予定を変更して、「大石内蔵助」について書いてみたいと思います!

大石内蔵助について私はあまり良く知らなかったのですが…今回も初心者なりの見解で書いてみます!

■大石内蔵助ってだれ?

「大石内蔵助」=おおいしくらのすけ 

という名前をみなさんはご存知ですか?

歴史が苦手な私はな~んとなく聞いたことがあるくらいで、

どんな人でどんなことをした人物なのかまでは知りませんした…(汗)

そこで!今月発行の宮本通信、通称「宮通」で、我らが局長の岡ジィが大石内蔵助について書いていたのを発見!(じろりっ)

▼宮通は【坂東武士図鑑】でもご覧いただけます♪▼

岡田コラムへ

ふむふむ…。

岡ジィのコラムによると、大石内蔵助は江戸時代の武士らしく、

「赤穂事件」という刃傷事件の中心人物!?のようです。

本名は「大石良雄(おおいしよしお)」というらしく、

内蔵助は通称のようです!

そして!!!大石内蔵助は、なんと、我らがヒーロー『藤原秀郷流』とのことなのです!!

確かに、先日伺った小山市立博物館で展示されていた「秀郷異聞」でも、

「大石家は藤原秀郷の末裔小山氏の一族。」と書いてあったことを思い出しました!(今になって…)

秀郷→小山氏→大石家→大石内蔵助

みたいな初心者レベルではありますが、、繋がりがなんとなく見えてきました!

秀郷の子孫をここにも発見しましたっ!(きらんっ)

■赤穂浪士???まず、なんて読むの?

早速コラムを読んでみると…

「赤穂浪士」という言葉で一番最初からズッコケました。。(涙)

「赤穂浪士(あこうろうし)」と読むようです!


でも一体なんなんでしょう?!

調べてみたところ…(ふむふむ)

___________________________________


1703年1月30日深夜に、旧主浅野長短(あさのながのり)の名誉を傷つけた高家吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した47人の武士

_________________________________

とのこと。(それにしても、、とんでもなく長い名前の人もいるものだなぁ…)

つまり!浅野さんという人の恨みを晴らすために、吉良さんという人を討ち入った武士たちのことを「赤穂浪士」というようです!

赤穂浪士は計47人。そのリーダーを務めていたのが、秀郷の子孫「大石内蔵助」のようです!!

そして、その事件のことを「赤穂事件(あこうじけん)」というようなのです!!

「討ち入り」という言葉でも表現されることが多いようです(ふむふむ)

しかも!(今日は伝えたいことが多い…汗)

この事件は現在でも演劇や映画、歌舞伎などで「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」という名前で描かれています!

情報が沢山でしたが、、少しだけ「大石内蔵助」のことがわかった気がします!(本当に少しだけ…)

もう知ってらっしゃる方も多いかと思いますが、

もし、知らなかった方には、少しでも大石内蔵助と秀郷の関係が伝わったなら嬉しいです(うるうるっ)

▼▼岡ジィコラム忠臣蔵はこちらから♪▼▼

https://www.bando-bushi.com/post/12gatsu

▼▼大石家の縁戚「小山氏」の初代当主をマップでチェック!▼▼








はい!今回のブログはここまでとします!

次回の投稿では、「栃木の武士」を引き続き紹介したいと思います!

ぜひお楽しみに☆(^ ^)

最後まで読んでくださりありがとうございます☆

また次回のブログでお会いしましょう~♪

*English summary*

In this blog, I would like to write about Oishi Kuranosuke who is a descendant of Fujiwara Hidesato. Oishi Kuranosuke is famously known as a story called “Chushingura”. The story is based on the real incident which happened in Edo period. 47 member of Akougishi who were the group of Bushi/Samurai was the main people. They tried to revenge for Asano Nagamori. This incident happened on December 14th. The Akougishi’s leader was Oishi Kuranosuke. His clan is closely connected to Oyama clan in Tochigi.

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みなさんも一緒に栃木の武士を全国へ広めて行きましょう!




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