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第13回歴史さんぽ『宇都宮まちなか歴史散歩~民話で知る宇都宮城周辺の歴史~』-2025年5月24日開催




第13回目となる、栃木の武将”藤原秀郷”をヒーローにする会『宇都宮まちなか歴史散歩』 代表の宮本がレポートいたします。


今回は「民話で知る宇都宮城周辺の歴史」として、会員の『宮の語りべ有岡光枝さん』を講師に迎え、秀郷公の築城とも言われる宇都宮城、城址公園に集合して周辺の史跡を巡りました。

先導は当会専務の岡田康男さん「宇都宮城主の本多正純の栄華と失脚」「地域の災害を汗をかき知らせてくれた阿弥陀さま」「静御前が義経を追って向かった奥州路での従者・亀井六郎の奇跡」などなど、岡田さんの解説に参加の皆さんのお話も伺い、寄り道もたっぷりで『まちなか散歩』を楽しんで来ました!


【ルート(Googleマップが開きます)】https://maps.app.goo.gl/mtCE5DoPJcdLpX4J9



■ 宇都宮城址公園から出発


今回の参加者は20名。大学生の女性から80代の男性まで、まさに老若男女幅広く集まっていただき、和気あいあいのイイ感じ。各世代の歴史観を伺えるのも楽しいものです。

集合は宇都宮城址公園。関東七名城の一つで、亀ヶ岡城とも言われます。亀ヶ岡の由縁は、宇都宮が河岸段丘の街で水源豊かなことに由来。亀=甕=井戸、水にまつわる伝えが多くあります。

城は平安時代に藤原宗円が二荒山の南に居館を構えたのが始まりと言われますが、それ以前に当時の下野国司であった秀郷の居城とも言われます。近世・江戸時代に改修され、輪郭と梯郭形式を合わせた土塁作りの平城ですが、江戸初期の城主・本多正純の頃には天守があったとも言われ、徳川将軍の日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用されていました。同行の当会佐野支部の永島さんも本多正純の探求が深く、本日訪問する各所の正純との関係を詳しく話していただきました。

最初の有岡さんの語りは、あの『つり天井』。

家康の右腕だった宇都宮城主・本多正純と二代将軍・秀忠の確執が元ネタとされていますが、物語では三代・家光となり、百貫の石を積んだつり天井を将軍が寝ているときに落とすと言う暗殺計画。有岡さんの訛り強めの栃木弁での迫真の語りに、皆さん聴き入っていました。有岡さんは語りの最後に「言っとくけどな、今日の話は伝説だからな。どこまでが本当で、どこまでが作られた話かわかんねえけど、昔々からその土地で語られてきた話しだ」とのことです!

最初から内容詰め過ぎて20分押し、、、  宇都宮伝説めぐり散策のスタートです。






■ 焦土となった宇都宮に残った報恩寺と一向寺


宇都宮城は慶応4年(1868年)戊辰戦争、烈火の地。新政府軍と日光へ向かう土方歳三率いる旧幕府軍との二度の大戦にて、城下の建造物の多くが焼失しました。

そうしたなか、宇都宮最古の木造建築と言われる、380年以上の歴史を持つ山門の『報恩寺』を参拝。飛騨の甚五郎の作と伝わる茅葺唐破風造りの山門は、戦火のなかでも残った流石の重厚さに品格が漂います。整備された境内には、戊辰戦争の薩摩藩戦死者の合葬墓である「戊辰薩摩戦死者墓」や、宇都宮城攻防戦での薩摩藩・長州藩・大垣藩の戦死者名が列記された「戦死烈士之墓」が祀られます。有岡さんからは「六道の辻の戦い」と、負けた旧幕府軍の遺体を地域の人々が、手厚く弔った語りを聴かせていただきました。




次は報恩寺のすぐ隣『一向寺』さんへ。

「汗かき阿弥陀」として知られる国の重要文化財『銅造阿弥陀如来坐像』を参拝です。異変が起こる前になると汗をかくという伝説があり、第二次世界大戦や関東大震災の前日にも汗をかいたという。戊辰戦争の戦火の時には、阿弥陀様の化身として大入道が現れ本堂を覆い、滝のように大汗をかいて戦火を逃れたとの伝説を話していただきました! 

このような話が残るほど、戊辰戦争では宇都宮城と城下町の大部分が焼失し、甚大な被害をもたらしたのです。こちらにも、戊辰戦争で亡くなった方の多くの碑があります。また、阿弥陀様の着物には宇都宮の殿様から商人、農民に至るまで、分け隔てなく寄進をした皆さんの名前が刻まれています。




次は宇都宮生まれの偉人『蒲生君平勅旌碑』!に、向かう予定でしたが、かなり押してしまい割愛に……。

勅旌碑(ちょくせいひ)とは、明治天皇より「君平の人となりはまことに立派であるから、これを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅命により、宇都宮城の東の入口に建立されたものです。

こちらはまた次回ということで、「静御前と亀井六郎」の伝説『亀井の水』へ向かいます。

途中には数々の神社があり、「英厳寺史跡 宇都宮城主戸田家菩提所」には、一見の価値がある、亀と蛇が一体となった中国の空想的動物『玄武』に担がれた戸田氏の墓があります。その近くの一条の坂にある延命院地蔵尊では、代々100年以上お地蔵さんを御守りしているお婆さまにお話を聞くなどし、徒歩20分で到着。




■ “亀井の水”の伝説


「平氏の滅亡後、兄・源頼朝と仲違いした義経は、陸奥国平泉の藤原秀衡を頼って奥州を目指した。義経の妾である静御前は、亀井六郎・駿河次郎をお供にして義経の後を追った。静御前は宇都宮に差しかかると足取りが重くなり、のどの渇きを訴えた。亀井六郎は神仏に祈り、自前の槍で地面を深く突き刺した。すると良質の水が湧き出し、静御前はその水を飲んで、再び旅路に就いた。以来、どんな日照りでも水は枯れることなく田を潤し、人々は『亀井の水』と崇めた」とのことです。場所は花房の旧奥州街道、鎌倉とも繋がる鎌倉街道。当時を思い有岡さんの語りを聴きました。


亀井の水を最後に北上して10分ほどで宇都宮城址公園に戻りますが、手前のヤクルトカフェの向かいに今まで気づかなかった『お不動様』が!?。同行メンバーのご近所に住むTさんによると、初代総理大臣、旧千円札の肖像「伊藤博文」さんが祀られているとのこと。

経緯は、宇都宮で土建業を営んでいた亀田易平氏が、宇都宮に遊説に来た伊藤博文氏の世話役となったことから、私設秘書となります。帝国ホテルの新館の建設材料として設計者フランク・ロイド・ライトは大谷石を採用しますが、亀田氏が東谷石材商店という会社を立ち上げ大谷石を供給することとなります。大正8年より採石が開始され、帝国ホテルは大正12年に完成します。恩人・伊藤博文を敬い、祀ったのがこちらのお不動様とのこと。拝殿内もなかなか独特な様式でした。






■ 3時間超えの探訪に、、宇都宮の“語る街並み”


ということで、実は書ききれないほど寄り道が多くなり3時間オーバーの宇都宮探訪。戊辰や太平洋戦争の戦火により、相当な家屋が焼失し、歴史が伝わりにくいとされる宇都宮ですが、本日歩いた地域だけでも、戦前・戦後の古い建物や、歴史を体現できる数々の通りや地形に面影を感じることが出来ました。


最後に城址公園手前の『ヤクルトカフェさん』で人気メニュー「ジョアスムージー」を飲みながら本日の振り返り。

みなさん満足いただけた楽しい一日となりました。


次回のまちなか散歩は、秋を予定しています。

今後も『栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会』では、地域の歴史を伝えるイベントを開催して行きますので、会員登録にて送信されるメルマガやSNSでチェックして下さいね〜

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