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笠間時朝 かさまときとも 

最終更新: 1月13日


File No. 30

【笠間時朝】

かさまときとも 

tokitomo-kasama


彼は身長178cmの大男で、和歌が上手い文化人であった。

He was a big man of height 178cm and was a scholar good at poetry “WAKA”.


【官位】従五位上長門守、左衛門尉

【生年】元久元年1204年

【没年】文永2年1265年

【氏族・血族】笠間氏初代

【父】塩谷朝業  

【養父】宇都宮頼綱



■笠間氏初代

武勇に優れ、和歌などの文化的な素養も高く、仏教にも功績が大きい知的な人物といわれる。宇都宮氏の“外交官”として京都の貴族、僧侶と人脈を作り、宇都宮氏の発展を支えた。


宇都宮頼綱の養子となり常陸国笠間に入って笠間氏を名乗り、約16年の歳月をかけて佐白山に笠間城を築いて居城とする。

鎌倉幕府に出仕し始めるとその才をもって頭角を現し、将軍の公式行事に二十数回も出たといわれ、仁治元年(1240年)には検非違使に任命された。

仁治3年(1242年)の後嵯峨天皇即位の大嘗会には、供奉役人として上京奉仕した。

さらに、父朝業が没した宝治2年(1248年)には、本家である兄の塩谷親朝の従五位下を上回る従五位上長門守という官位官職に任じられた。



文化人としても有名

時朝は、恵まれた体格から武勇に優れていたが、文化人としても名が高く、宇都宮新和歌集には、頼綱(蓮生)に次ぐ51首もの歌が収録されており、時朝の詩集である『前長門守時朝入京田舎打聞集』の写本が現在、宮内庁書陵部に所蔵されている。


仏教にも功績が大きく、各地の寺院に仏像を寄進している。

建長5年(1253年)と文永元年(1264年)に、京都蓮華王院(三十三間堂)に千手観音(120号像・169号像)を寄進している。


1001体ある三十三間堂の千手観音立像の中で、鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのは時朝が寄進したこの2体だけである。


地元の笠間には、宝治元年(1247年)に石寺弥勒堂弥勒菩薩立像、建長4年(1252年)には楞厳寺千手観音立像、翌建長5年(1253年)には岩谷寺薬師如来立像が寄進され、現在、それぞれ国の重要文化財に指定されている。

建長7年(1255年)日光輪王寺の旧三仏堂の日光三社権現像の内、千手観音像を寄進、

山形県寒河江市の慈恩寺には「弘長3年常陸国小山寺(富谷観音)旦那笠間時朝」の銘のある木造大日如来坐像が現存する。



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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