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笠間時朝 かさま ときとも 


No. 37


【笠間時朝】

かさま ときとも 

Kasama Tokitomo



文武両道に優れた笠間氏の当主。和歌にも堪能な文化人で、多彩な人脈と外交で宇都宮氏を補佐し支えた。



【別称・通称】?

【官位】従五位上長門守/左衛門尉

【生年】元久元年(1204年)

【没年】文永2年(1265年)

【時代】鎌倉時代初期

【氏族・血族】藤原北家宇都宮流/笠間氏

【在所・所領】常陸国笠間

【墓所】?

【由縁の場所】栃木県氏家市/勝山城/塩谷町佐貫観音

【家系・系譜】

父:塩谷朝業 

養父:宇都宮頼綱




笠間氏初代


常陸の笠間氏初代当主。

宇都宮頼綱の弟・塩谷朝業の次男として生まれ、宇都宮頼綱の養子となり、その後常陸国笠間に入って笠間氏を名乗った。


笠間入り後、約16年の歳月をかけて佐白山に笠間城を築いて居城とする。

宇都宮氏の“外交官”として京都の貴族、僧侶と人脈を作り、宇都宮氏の発展を支えた。


鎌倉幕府に出仕し始めるとその才をもって頭角を現し、将軍の公式行事に二十数回も出たといわれる。


仁治元年1240年、検非違使(けびいし)に任命される。

仁治3年1242年、後嵯峨天皇即位の大嘗会(だいじょうえ)には、供奉役人として上京。

宝治2年1248年、父朝業が没したこの年、本家で兄の塩谷親朝の従五位下を上回る従五位上長門守になる。




文化人としても有名


時朝は、約六尺という恵まれた体格をもち武勇に優れていたが、文化人としても高名で、宇都宮新和歌集には、宇都宮頼綱(蓮に次ぐ51首もの歌が収録されており、時朝の詩集である『前長門守時朝入京田舎打聞集』の写本が現在、宮内庁書陵部に所蔵されている。

仏教にも功績が大きく、各地の寺院に仏像を寄進している。


・建長5年1253年及び文永元年1264年、京都蓮華王院(三十三間堂)に千手観音(120号像・169号像)を寄進。1001体ある三十三間堂の千手観音立像の中で、鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのは時朝が寄進したこの2体だけである。


地元の笠間においては、


・宝治元年1247年、石寺弥勒堂弥勒菩薩立像を寄進。

・建長4年1252年、楞厳寺千手観音立像を寄進。

・建長5年1253年、岩谷寺薬師如来立像を寄進。


現在はそれぞれ国の重要文化財に指定されている。


・建長7年1255年、日光輪王寺の旧三仏堂の日光三社権現像の内、千手観音像を寄進。

・山形県寒河江市の慈恩寺には「弘長3年常陸国小山寺(富谷観音)旦那笠間時朝」の銘のある木造大日如来坐像が現存する。



長い治世の中で、その後の笠間十八代の基礎を築き、文永2年1265年、62歳で没する。




※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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