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源 義家 みなもと よしいえ
最終更新: 1月8日

File No.7
【源 義家】
みなもとよしいえ
【別名】八幡太郎
【生年】長暦3年1039年
【没年】嘉承元年1106年
【氏族・血族】清和源氏 第五代
【父】源頼義
【在位・官位】
出羽守 下野守 陸奥守 正四位下
関東に源氏盛栄の基礎を築いた武勇の士。
■源義家の概要
源頼義の長男として、河内源氏の本拠である河内国で生まれる。
七歳の春に、山城国(京都)の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称する。
武勇に優れた後世までの人気者。
■置文について
源氏そしてその嫡流の足利家に伝わる有名な伝承として、二つの「置文」の話がある。
一つ目は、源義家の置き文。
「われ七代の孫に生まれ代わりて天下を取るべし」とあり、義家から七代目の直系にあたる足利家時は、自分の代では達成できないため、「我が命を縮めて、三代後の子孫に天下を取らせよ」と祈願し、置き文(二つ目)を残して自害した、と『難太平記』にある。
鎌倉幕府の後継として専制した北条氏に対して「北条ごときが何を偉そうにする!我こそは正統の天下人、源氏だ!!」という源氏嫡流の進む道を後世に残したといえる。
足利家時の三代後、足利尊氏が鎌倉幕府北条氏打倒に立ち上がり天下獲りを目指したのは,家時から三代後の子孫としてその置文を見せられたからであろう。
『難太平記』の著者今川了俊も、その置文を見たと記している。
そして、足利尊氏は天下をまとめ、室町幕府を建て、現代まで続く足利氏を繁栄させていくことになる。
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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