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足利家時 あしかがいえとき 

最終更新: 9月10日


File No. 32

【足利家時】あしかがいえとき 

ietoki-ashikaga


子孫に天下を取るよう遺書を残す。

He left a will so that his offsprings ruled Japan.


生年=文応元年(1260年)

没年=公安7年(1284年)

氏族・血族=源姓足利氏

主君=鎌倉幕府(北条執権)

父=足利頼氏 子=足利貞氏


足利家時を語る上で「置文」の話をしないわけにはいかない。


足利氏には、先祖に当たる平安時代の源義家が書き残したという置文(遺言のような文書)が伝わった、といわれる。

そこには、

「われ(義家)七代の孫に生まれ代わりて天下を取るべし」と書かれており、(No.7源義家の項をご参照ください)義家の七代の子孫である家時は、自分の代で達成できないため、「わが命をつづめて、三代の中にて天下を取らしめ給え」と八幡大菩薩に祈願し、執事の高師氏に願文(置文)を託して自害したといわれる。(『難太平記』による)


三代の子孫(つまり孫)にあたる足利尊氏・直義兄弟はこれを実見し、『難太平記』の作者である今川了俊もこれを見たと、『難太平記』には記されている。

尊氏と直義は、後に鎌倉幕府を滅ぼして、後醍醐天皇の建武政権樹立に多大な貢献をしたが、北条高時の子・北条時行が「中先代の乱」を起こして鎌倉を占拠したのに対し、天皇に無断で鎌倉に下って乱を平定したのを機に、建武政権から離反して再び武家政権を樹立する動きを始めた。


この家時の願文が、尊氏が挙兵した動機ともいわれている。


源義家の置文が実在した可能性は低いと巷間言われている。

義家の四代後の嫡流・源頼朝は鎌倉幕府を開いているし、義家の置文が傍流の足利氏に伝わったという点でも疑問が残る。

しかし、家時が執事高師氏に託した書状を、師氏の孫で尊氏の執事となった高師直の従兄弟である高師秋が所持しており、直義がこれを見て感激し、師秋には直義が直筆の案文を送って正文は自分の下に留め置いた、という文書が残っているらしい。

『難太平記』のいう置文は、実際にはこの文書を指しているのかもしれないが、置文の本当の作者は義家ではなく家時自身だという説もあるようである。


置文の真偽はともかく、現代に至るまでの歴史ファンや足利ファンにとっては、尊氏の天下取り物語の、ひとつの切っ掛けとなった人気の高い逸話であるのも事実である。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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